経済・政治・国際

Oct 07, 2007

背広の値段

 学生時代に持っていたスーツは,慶弔行事と演奏会出演用の黒服だけだった。「吊るし」(死語か?)で買った安物だが,男はこれひとつで慶弔とも間に合うので,三十ちょっと過ぎまで役に立った。
 これを別にすると,就職する直前の3月に,紺のスーツを「イージーオーダー」で作ったのが,私の「背広始め」だった。支払いは月賦だったが,たぶん初任給の半分以上の値段だったと思う。毎日必ずスーツを着ないといけないという雰囲気はなかったのを幸い,しばらくこの1着ですませた。

 入社した年の暮れとその翌年の暮れに,郷里の横須賀の洋服屋でちゃんとオーダーして背広を作った。オイルショックのころで物価は激しく上がったが給料も上がった。2年目に作った背広は,その上がった月給と同じくらいの値段だった。それが結果的に,これまでのわが人生で買ったいちばん高い洋服となった。
 職人技で作られたその背広は,正しくゆとりがとってあったと見え,十何年か後に数キロ太ってからもちゃんと着ることができた。(その後さすがに色あせして着なくなり,今年の引っ越しのときに廃棄した。その洋服屋の名が入った立派な木のハンガーは今も使っている。)

 その後,バブル崩壊までの絶えざる物価上昇の中でも,背広の値段はほとんど上がらなかった。もちろん,きちんと手間がかかったものは上がっていたのだろうが,既製服の品質が向上してしかも多様になる中で,中ぐらい以下のクラスの背広は三十年前と同じか,むしろ安いくらいである。いま,どの年代でも,月給と同額の背広など,作る人はいないに違いない。

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Feb 24, 2007

傘の値段

 バブル崩壊まで長い間ずっと,物価は上昇し続けた。油が水に浮くように,物価といえば上がるものであり,「物価上昇」というのが四字熟語として固定していた。そこに風穴を空けたのが「価格破壊」という動きだった。
 価格破壊の例としては,だいぶ前に書いた音楽CDが顕著だが,個人的な印象が強いのは雨傘である。たぶん70年代末ごろだったと思うが,出張先の関西某所で強い雨に降られた。やむを得ず,駅から濡れないで行けるデパートで傘を買ったら,出張の手当が消えてしまった。
 それが,その後10年あまりの間に,コンビニはもちろん,駅の売店や,100円ショップでも,ビニール傘が買えるようになった。東京・蒲田で,居酒屋で傘が売られているのを見たこともある。ジャンプ傘のトップメーカーだったアイデアルは倒産したし,個人的にも雨に備えて折りたたみ傘を持っていくのを面倒に思うようになってしまった。
 破壊された状態が定着して,「価格破壊」という言葉も古語になった感がある。

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Sep 14, 2005

死票累々――社会科と社会

 今回の総選挙の結果で,小選挙区全体(300議席)における自民党と民主党の獲得議席数は219対52と大差がついたが,実は得票数の比率を見ると47%対36%である。すなわち,自民党は得票数は民主党の1.3倍に過ぎないのに,4.2倍の議席を得たのである。
 東京はもっと極端で,得票数比は50対37で,議席数は23対1だった。死票累々である。これが,小選挙区制の怖いところであり,おもしろいところでもある。
 比例区があって多少「緩和」されてはいるが,全体の議席数は296対113で,自民党は民主党の2.6倍となった。

 昔々,高校で,政治経済のM先生に小選挙区制について教わった。「勢力の拮抗する二大政党がある場合,少しの人が支持政党を変えると結果が逆転するので,政権の交代が起こりやすい」「死票が生じやすい。51%でも勝ちは勝ちで,残りの49%は死票となる」「得票数と議席数が逆転することもありうる。たとえば,選挙区A~Cで,X党とY党の得票数が55:45,55:45,10:90だったとすると,合計の得票数は120:180だが,A区,B区ではX党,C区ではY党が議席を得るので,議席数は2:1になり,得票数と逆の結果になる」といった話だった。
 今回の結果を見てすぐ,得票率はどうなのだろうと思ったのは,この話が頭の片隅にあったからである。当時は中選挙区制で,自民党政権が変わる気配はなかったから,小選挙区制はまったく理論上の問題として語られていた。

 選挙に関連してこのM先生が話していたことでもうひとつ記憶に残っているのは,最高裁判所の国民審査のことである。
 M先生は「不信任の×印の比率は,いつも名簿の最初の人が少し高く,あとはほとんど差がない。大部分の人がランダムに印をつけているからだ」と説明し,「こんな制度はいらないという意見もある。しかし,万一おかしな裁判官が現れたときのためということと,裁判は別として国民が三権のうちの司法に直接関わることができる唯一の機会であることを考えると,私は残しておく方がいいと思う」という見解を述べた。
 今回も,国民審査にあたっては,公報の「これまでに関わった判決」のところを読んでから投票所に向かった。

 M先生には,そのほかに,株式会社のしくみ,銀行の預金準備率,為替手形・約束手形というもの,ケインズ経済学の基礎など,教科書の扱う範囲をかなり越えて,世の中のしくみの基本を習った。最初つまらないと思っていた政治経済という科目が,ほどなく目からウロコの連続の楽しみな科目となった。
 M先生から学んだことの大部分は,その後文学部系の学生が学校では二度と学ばなかったことがらで,今も大いに役に立っている。

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Sep 12, 2005

選挙日和

 昨11日,東京地方はさほど暑くなく,午後激しいにわか雨が降った一部地域以外は絶好の選挙日和だった。昼前に投票所へ行ったところ,長蛇の列というほどではないが,これまでのこの投票所の経験では最高の混雑だった。いわゆる「刺客選挙区」で,選挙区への注目度も高かったこともあり,投票率はかなり上がると思ったのだが,結果は全国平均には少し及ばなかったようだ。
 いつかテレビで,朝一番で投票所へ行った人は,投票箱が空であることを確認するという仕事をする規定になっている,という話をしていた。いつかこれをやってみたいと思っていたのだが,今回も果たせなかった。
 私の地区の投票所は,場所は従来と同じだが,今回からは「旧○○小学校」。統合のため廃校になり,とりあえず建物はそのままで,区の施設になっている。もとの教室のひとつに「サロン」という表示が出ていた。

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Feb 23, 2005

長い名前

 東京三菱とUFJは,合併後「三菱東京UFJ銀行」という芸のない名前になるという。長いということなら「太陽神戸三井銀行」というのがあったが,これは「さくら銀行」とするまでのツナギだったし,UFJなどという日本の銀行として元々おかしな名前が維持されるとは思わなかった。太陽神戸三井銀行ができたとき,どうせなら北海道拓殖銀行(その後つぶれた)と合併して「太陽神戸三井北海道拓殖銀行」,愛称「ジュゲム銀行」というのがいいのではないかと思ったのを思い出した。
 太陽神戸三井のことを関係者はタイシンミツイといっていた(これでも長い)。東京三菱もトーミツというのが業界略語だが,素人は三菱銀行ということが多いのではないだろうか。

 考えてみれば昔から「石川島播磨重工業」とか「大阪商船三井船舶」といった社名はあった。社名ではないが,「伊勢佐木長者町」(横浜の地下鉄の駅名)などというのもある。
 妥協の産物としてはこうなるしかないのだろうが,ずっと三菱東京UFJというわけにもいくまい。岡山の「トマト銀行」(元は山陽相互銀行)を見習って「リンゴ銀行」にするとか,思い切って命名権を売る(誰に? ライブドア?)というのはどうだろう。逆にトマト銀行の名前を買うというのもいいかもしれない。

 合併の話が出た昨年夏,UFJ銀行のオーケストラのメンバー(女性)に会ったら,「オーケストラも三菱に吸収されちゃうと思います」と少し寂しげだった。そもそも彼女は三和銀行のオーケストラだったのだが。

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