日記・コラム・つぶやき

Sep 21, 2017

エスカレーターを歩く/東京外し

 駅や商業施設などのエスカレーター上を歩くことの是非をめぐって,ときどき論争が起こる。鉄道会社や店舗側は,強弱はいろいろだが,歩かないことを求める掲示を出している。しかし,少なくとも鉄道の駅では,歩かない人はエスカレーターの(東京の場合)左側に立ち,歩く人のために右側を空けておく習慣が確立している。
 確かに走るのは危険だから,私は年も考えて,エスカレーターでは原則として走らないことにしているが,正直にいうと,急いでいるときは歩きたい。せっかく速く移動する手段があるのだから使いたいと思う。
 それで私は,自分なりの原則を立てた。その1は「なるべく(特に下りは)階段を歩く」。そしてエスカレーター上を歩く条件だが,その2「先行者(前を歩く人)が複数人いるときのみ歩く」。もちろん立っている人の状況(荷物を出っ張らせていないなど)を見た上でのことであるが,前を歩く人がある程度の数いて問題なく歩いていれば,危険性はぐっと減る。これに加えてその3は「付則」で「前に誰もいないときは歩いてもよい」。
 ただし,エスカレーターの安全基準の前提は,「歩かない」ことよりも「(急停止に備えて)手すりにつかまって乗る」ということに重点があるらしい。これをどうしてくれると言われるとちょっと困るが,とっさのときにすぐ手すりをつかむという心構えをしておく,というところだろうか。

 三菱東京UFJ銀行が,来年4月に名称から「東京」を外し,「三菱UFJ銀行」となるという。UFJと合併する前は「東京三菱銀行」で,当時はこれでも長いと感じていた(業界での略称は「トーミツ」だった)(→参照)。
 東京三菱は,三菱銀行と東京銀行が合併したものである。東京銀行は,昔の横浜正金銀行が解体された後その業務を引き継いだ外為銀行で,かつては外貨,特に米ドル以外の入手には,たいてい東京銀行へ行っていた。その東京銀行に由来する「東京」が今回消えることになる。

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Sep 15, 2017

池之端藪蕎麦の閉店

 9月某日の昼過ぎ,上野の美術館に行った帰りに,久しぶりに池之端の藪蕎麦へ行こうと思い立った。
 中央通りを折れて,昼間でも客引きのいるあたりを抜け,このあたりと思う所まで来たのだが,「藪」の看板が見えない。なおも行くともう千代田線の湯島駅なので引き返し,もう一度よく見たところ,店のあった場所とおぼしき所に建築中の小さいビルがあった。鉄骨が2階まで組み上がったところだった。先日も居酒屋の取り壊しと復活を見たばかりだったので,ここも建て替えかと思ったのだが,建築に関する掲示の建築主のところは不動産会社の名になっていた。昼食は,この通りのもうひとつの名店「蓮玉庵」に入った。
 帰ってからネットを検索したら,具体的な情報はあまりなかったが,どうやら店主が病気で昨年閉店したらしい。火事にあった「神田藪」は立派に再建されたが,それと入れ替わるように「三大藪」(もうひとつは浅草の「並木藪」)の一角が消えてしまったことになる。藪蕎麦はどこも蕎麦の量が少なめで,「池之端藪」も決して安いとは思わないが,つまみがいろいろあるし,落ち着いていてしかも適度に気軽な雰囲気の店だった。
 デジタルの記録のあるここ20年で17回足を運んだ。そのうち2013年の1月のときは,これも好んで行っていた新井薬師の「松扇」が閉店(こちらは地方へ移転)していたので,やむを得ず池之端へ行ったのだった。その次,同じ年の11月に行ったのが最後になった。

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Sep 06, 2017

岩波文庫の新しい源氏物語/京浜急行特集の臨時増刊

 書店を歩く時間が昔より減っていて8月になってから気づいたのだが,岩波文庫の新しい『源氏物語』の第1冊が7月に出た。原文が右ページ,注が左ページの対注式で,内容は『新日本古典文学大系』を基にしている。第1冊は「末摘花」(54帖のうちの6帖目)までが収録されていて,全9冊の予定だという。ということは、第1冊だけ読んでも「須磨源氏」の半分にしかなれない。
 高校生のとき,精一杯の背伸びをして,岩波の古い方の古典大系の『源氏物語』の第1巻(全5巻のうち)を,学校の図書館から借りて読んだ。もちろん,大ざっぱにさえわかったとはいえなかったが,なんだかすごい世界があるんだなと思った。確か「須磨」まで入っていたと思うので,一応「須磨源氏」の仲間入りをしたことになる。
 その後,与謝野晶子による現代語訳で全帖を読んだ。敬語を大胆に省略したり,登場人物の呼び名を原文にないものにしていたりしていて(実際には一貫した呼び名がないとわからなくなってしまう),原文の面影があまりないことは素人にもわかったが,ともかく物語として読み通した。その中で,物語というより小説としておもしろかったのは宇治十帖だった。
 新しい文庫本で読んでみたいが,本を置くスペースがますます窮屈になっていて(かといってこの手のものは電子書籍で読む気はしない),しかもほかに未読の本の山がある現状では,さてどうしたものか。

 同じく8月になってから気づいたのは『鉄道ピクトリアル』の8月臨時増刊号「【特集】京浜急行電鉄」である。
 『鉄道ピクトリアル』は,ほぼ毎年,大手私鉄1社を特集した臨時増刊号を出しているが,今年は京浜急行に順番が回ってきた。これまでの京急の増刊号は,私の知る限りでは,1970年10月,1980年9月,1988年9月,1998年7月の4回あり,今回は19年ぶりになる。1970年のは全94ページ,うちカラーは巻頭1ページだったが,今回は316ページ,カラーは64ページにもなった。
 この19年では,京急蒲田駅の高架化がいちばん大きな出来事だった。次の10年は大師線の地下化が大きなトピックスになるだろう。

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Sep 03, 2017

まるよし復活

 8月の20日過ぎ,工事中だった赤羽の居酒屋「まるよし」に行ってみたら,以前と同じ黄色の看板が出ていた。予定通り7月下旬に開店したとのこと。行ったら更地でおどろいたのが4月下旬だったから,3か月足らずで建ったことになる。
 店内は,入って右側にあった小上がりがテーブルに変更になったが,コの字型のカウンターは健在。メニューは,「熟読」したわけではないが,ほとんど変わっていない。店員さんがそろいの黒のTシャツを着ているのが新しい点である。
  (→参照:消えた赤羽「まるよし」)(→参照:赤羽「まるよし」続報
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 隣の駅の名居酒屋「齋藤酒場」は,駅前の小道を入ったところにあるが,手前角のビルが工事中で,今だけ駅から看板が見えている。

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Aug 28, 2017

横浜DeNA,3連発&3連続サヨナラ

 先週,横浜DeNAベイスターズが,首位広島を相手に3試合連続サヨナラ勝ちをおさめた。
 最初は22日(火)の3者連続ホームランである。5-2で負けていた横浜は,9回裏,筒香(2ラン)・ロペスの連続ホームランで同点とし,次の宮崎がサヨナラ・ホームランを打って勝った。3連発といえば,伝説となっているのは阪神のバース・掛布・岡田の「バックスクリーン3連発」(1985)だが,そのときと同様に,負けていたチームの3番から5番の選手による3発で追いつき,逆転した。しかも今回は,2発目でちょうど追いつき,3発目がサヨナラ・ホームランとなったので,劇的という点ではバックスクリーン3連発に十分に匹敵する。
 それだけでも歴史に残る事件だったが,翌日もサヨナラ勝ちだった。
 3日目は私はスマホのテキスト中継(→参照)で見ていた。この日は6回表まで4-1で広島リード。それが,6回裏から横浜が毎回1点ずつ入れて,同点で9回裏を迎えた。それでも,まさかまたサヨナラなどということなどあるはずもないと思いながら見ていたところ,やがて表示された「1X」の文字。そのまさかが起こった。

 3連続の「中日」の23日(水)のスポーツニュースは,高校野球の決勝で埼玉県代表が初優勝,イチローが代打で特大の3ラン,本田のメキシコデビュー&ゴール,と印象に残る出来事が次々と伝えられた。

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Aug 20, 2017

ドトールの選択肢

 ドトールでコーヒー(ホット)を買おうと思うと,5段階の選択を迫られる。まずは,持ち帰りか店内か。品物は「コーヒー」というとホットかアイスかを聞かれるので,ホットのときは「ブレンド」と言えばよい。
 次は,サイズ。たいていの飲み物にはSLMの3種類がある。(スタバ語では Short,Long,Grande,Venti という。)
 次に,持ち帰りの場合,袋に入れるか入れないか。これは昔は,言われない限り袋に入れてくれたので,聞かれなかった。
 次は,これも持ち帰りの場合だが,ミルク・砂糖が必要かどうか(店内の場合は自分で取るので聞かれない)。両方不要なら「ブラックで」と答えるのが簡単(一度だけ,初心者マークの店員さんに通じなかったことがあったが)。
 最後に,「レシートご利用ですか」と聞かれる。これも昔は聞かれなかった。プリペイドカードの残高を把握しておく必要があるので,今はレシートはもらうようにしている。

 少し前からコンビニで大手カフェ・チェーンの飲み物が売られているが,今年,街角の自販機にドトールのカフェ・オ・レ(アイス)のペットボトル(大と小)があるのを見つけた。

 今は「カフェラテ」というもっと新しい名があるが,70年代には「カフェ・オ・レ」というのは新しい言い方だった。喫茶店では新しもの好きの人が「おれ,カフェオレ」などと言っていた。それ前は「ミルクコーヒー」というのが普通だった。
 ちなみに,もっと前には「コーヒー牛乳」というものもあった。コーヒーの味・香りをつけた牛乳で,当時はびん入りで売られていた(→参照)。

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Aug 17, 2017

珍しい応援歌――2017年盛夏

 8月9日,東京の最高気温は37度を超えた。この日に用事で外出したが,ふだんなら歩いていくところを地下鉄で遠回りし,駅からは日陰を探しながらゆっくり歩くしかなかった。2020年のオリンピック期間中にはこんな日も当然あるだろう。こんな時期に開催なんて,狂気の沙汰だ。

 しかし,その後は雨ばかりで,半袖では寒いような日もある。
 8月16日,仕事場へ行くべく電車に乗ったら都心方向はがらがらだった。
 神保町も夏休みの飲食店が多く,歩いている人は少ない。しかし,比較的新しい店は張りきって(または借金を返すためにやむを得ず?)ふだん通り営業しているところが多い。休むにしても,11日が「山の日」になって,いろいろな休みのパターンができたようだ。

 高校野球の放送をつけたままパソコンに向かっていたら,昔からなじみの曲が聞こえてきた。原曲よりテンポが速いが,まぎれもなく“Love Me Tender”である。野球の応援では非常に珍しい選曲なのであわててテレビの画面を見たら,天理高校の応援団だった。吹奏楽でも名門の天理高校がもうひとつ演奏していたのはビートルズの“Ob-La-Di, Ob-La-Da”で,どちらも今の生徒はもちろん,多くの学校の監督さんも生まれていないころのヒット曲である。
 知っている曲で,テレビから多く聞こえてきた応援の曲は「アフリカン・シンフォニー」(→参照)。「あまちゃん」のテーマも何校かが演奏していた。

 火事のニュースで,「この家に住む67歳の男性と連絡が取れなくなっているということです」などという。昔だったら単純に「行方不明になっています」と言っていたところだ。
 事故のニュースで「2人が心肺停止の状態で発見されました」などという。これは昔なら「死亡」に含まれていたものだろう。そういえば,「重体」というのもあまり言わなくなったような気がする。
  「捜査関係者への取材で…」については →参照
  「容疑者」という「敬称」については →参照

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Aug 10, 2017

8月10日は本拠地サイト記念日――開設20周年

 今日8月10日,1997年に始めた私の「本拠地」ウェブサイトが開設20年の日を迎えた。今見ると,「ホームページ」というタイトルが時代を感じさせる。
 本拠地は主に「オペラの章」「鉄道の章」「神保町の昼食の章」からなっているが,いま随時更新しているのは「オペラの章」の「見たオペラ」一覧の部分だけである。まさに細々とという状態だが,思いがけず20年も続いているということには少なからぬ感慨がある。(2004年にこの「ブログ別館」を作ってからは,日常的な報告や覚え書きはブログが主になっている。)
 以下,8年前の12周年のときにこのブログに書いたものを再掲:
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 90年代半ば過ぎまで,ネットといえば「パソコン通信」という時代だった。1995年の Windows95 の登場で素人でもインターネットに接続できるようになり,パソコン通信の運営会社がインターネット・サービス・プロバイダーを兼ねるようになってきて,状況が変わってきたのだったと思う。
 私は2つのパソコン通信サービスに加入していたが,そのうちの1つ Asahi-net がインターネットに積極的な対応をし始めたので,それに乗ってインターネット接続を始めた。ダイヤルアップ回線だから,画像があるとその表示に10秒ぐらいかかったりした。当時どのようにして興味あるサイトにたどりつき,どういうサイトを見ていたのかは,もはや記憶が定かではないが,今のようにネットといえばまず検索,という感覚でなかったことは確かである。
 1977年に Asahi-net によるホームページ作成のガイドブックが出た。これが,私のウェブサイト開設の直接のきっかけになった。独立のホームページ作成ソフトはまだなくて,Netscape Communicator(当時の先端的ブラウザ)付属の HTML 編集ソフトComposer を使った。しかし,これが使い勝手が悪く,「オペラの章」の表を初めとする基本的な構造を作った以外は,文字の大きさ・色,背景の色などを指定するタグを,テキストエディタ上で大部分手作業で入力した。表の作成は Excel のデータから変換したものを元にしたが,これの整形・整備がいちばん面倒だった。通信速度が遅かったから,データを軽くすることが重要な課題だった。
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 私の2年前に,iioさんが「Classica」(このブログの左のバーにリンクあり)を始めた。会社・官庁のホームページもほとんどなかったころで,個人のサイトの偉大な先駆であり,常に私のお手本だった。一部のブログ化などもiioさんを見習った。私の知っている個人のサイトで20年以上続いているのは,Classicaがほとんど唯一の存在である。

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Aug 08, 2017

ラヴェルのピアノ協奏曲を演奏――母校の記念コンサート(下)

承前
 ラヴェルのピアノ協奏曲は,今回の「両手」ト長調と「左手のための」の2曲。このうち,「左手」は40年以上昔にコーラングレ(イングリッシュ・ホルン)を吹いたことがある。「両手」の方のコーラングレもいつか吹いてみたいと思っていたが,アマチュア・オケが滅多に演奏しない曲であり,吹く機会はないだろうと思っていた。その機会が今回突然訪れ,急いで応募した(ほかにベートーヴェンの協奏曲の第2オーボエを担当した)。
 「両手」のオケは少々変わった編成で,ピッコロ/フルート,オーボエ/コーラングレ,Es管クラリネット/(普通の)クラリネットがそれぞれ「専任」(持ち替えなし)で各1,ファゴット2,ホルン2,トランペット1,トロンボーン1,ハープ,ティンパニ&打楽器,弦5部。練習では常にどこかのパートが欠けている状態で,本番前日のゲネプロでようやくメンバーが揃った。
 この曲,第2楽章のテーマ(アダージョ・アッサイ,3/4拍子)は,最初はピアノのソロで演奏されるが,後半で再現する際にはコーラングレが旋律を吹く。楽章全部で108小節のうち,このソロは33小節,つまり30%を占め,演奏時間は2分半以上で,ほとんど『トリスタンとイゾルデ』第3幕の無伴奏のソロに匹敵する長さである。コーラングレのソロというと「新世界より」の第2楽章がもっとも有名だが,これとて3回合わせて正味1分半ちょっとである。
 ただ,この曲が新世界やトリスタンと違うのは,終始ピアノの華麗な装飾句に彩られていることである。幸か不幸か,普通の聴衆はもっぱらピアノを聴いていて,テーマを演奏する楽器のことはほとんど気にしていない。
 ソリストのS君は27歳,高校を出たあとすぐフランスへ留学し,今回は本番1週間前に帰国した。ちょうど10年前,S君が高校2年のときに,同じく高校の関係者によるオーケストラでベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番を演奏したことがある。そのときも素晴らしかった(→参照)が,今回はもちろんさらに輝きを増し,激しいリズムの部分からシンプルな歌まで,余裕たっぷりにラヴェルの多様な世界を見せてくれた。
 協奏曲の演奏のとき,ソロにあまり聴き惚れていると,自分が出損なったりトチったりすることがある(長い間にはいろいろなことがあった…)。今回の本番では,心を鬼にして(?)冷静に聞くように努めた。そして,第2楽章。間にまったく休符のない2分半のソロは,スタミナ切れにならずになんとか「完奏」することができた。

 急いで付け加えるが,もう1曲のベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番も名演だった。こちらは「メサイア」以外の指揮をしたN君の弾き振りである。N君はS君より4学年上で,ピアニストとしての実績を着実に積んでいる。オーケストラの大部分のメンバーは弾き振りが初めてだったようで,練習のときは途中で破綻することもあったが,本番はピアノも聞きやすく,コンサートマスターもよく見えたので,なんとかきちんとした演奏になった。
 「ソリストが弾きたい曲を全部並べ」た(プログラムより)ごたまぜコンサートではあったが,お客さんにも楽しんでもらえたのではないかと思う。母校からは,音楽以外の芸術・文芸分野にも多様な人材が送り出されているが,音楽家の層が厚くなっていることにあらためて感慨を覚えた。

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真夏のオーケストラ――母校の記念コンサート(上)

 戦後間もなく生まれた私の母校(中学・高校,男子校)が,今年,創立70年を迎えたのを祝って,70周年記念管弦楽団が組織され,記念コンサートが開催された。
 曲目は,「フィデリオ」序曲に続いて,卒業生のプロ音楽家をソリストに迎えて,サンサーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ」,ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調,ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番,そして関係者により続けられてきた合唱団といっしょの「メサイア」抜粋という盛りだくさん。ベートーヴェンは弾き振りなので,前のラヴェルのあとピアノの向きを変える必要があり,休憩は2回,全部で3時間を超える演奏会になった。
 オーケストラのメンバーの募集があったのは4月の初めで,曲目を見て,難曲ラヴェルの協奏曲があるのに驚いた。しかも,練習はわずかに7回で,しかも曲により,練習しない日もあったりする。
 集まったのは,学校のオーケストラのOBと現役の生徒,それに生徒・元生徒の父母・姉妹・妻・娘,その他いろいろな関係者。私は高校まで吹奏楽をやっていて,オケの発足は私が卒業してからだが,初期のころにはしょっちゅう手伝いに行っていた。OBの参加者は,別格の80歳のヴァイオリンの人を除くと,その13年下の私の学年の3人が最高齢だった。3人とも在学時は吹奏楽の仲間だったが,その後みな違う楽器に変わった。一人はユーフォニウム→ファゴット,もう一人はアルトホルン(絶滅種!)→ホルン,そして私はアルトサックス→オーボエとなって,それぞれいろいろ曲折はあったが50年以上楽器を続けている。
                    (この項つづく

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