旅行・地域

Jan 17, 2017

いつまで運転できるか――山梨県立美術館へ

 昨年のニュースで身近なこととして聞いたのは,高齢者の運転による事故の頻発だった。集中力が長時間続かなくなっているのは事実だし,自分はあと何年運転できるだろうかと気にかかる。一方で,私の音楽上の師の一人で78歳まで運転していた人が,「免許の更新のときに認知症のテストを受けたけど,あんな易しいのに通らないようじゃ確かにダメですね」と言っていたのを思い出す。
 私は鉄道が好きだし,酒も好きなので,ふだん出かけるときに車でという発想はほとんどしない。したがって,日ごろたいした距離は走らない。ただし,必要があって,わずかな距離だが少なくとも週に3回は運転している。車の購入費と諸経費よりタクシーを使った方が安いと思うような乗り方だが,近いが故にタクシーもけっこう面倒で,安全に乗れる限りは乗りたい。

 昨年11月,たまには少し長い距離を運転しようと思い立って,一人で甲府の山梨県立美術館まで車で行った。往復250kmほどで,普通の人からするとたいした距離ではないが,私にとっては100km以上運転するのは久しぶりだった。
 ミレーの「落ち穂拾い」で有名な山梨県立美術館へは,開館後間もない1979年に一度行こうとしたことがあった。しかしそのときは,甲府駅からのバスで寝過ごしてしまい,気づいたら駅に戻ってきていて,時間がなくなって行かれなかった。今回は37年ぶりにそのとき以来の宿題を果たしたことになる。
 着いたら1時過ぎだったので,まずレストランへ。甲州みやげの定番・信玄餅の会社の経営だった。次いで,屋外に置かれた彫刻などを見てから,館内に向かう。ありがたいことに,65歳以上は県民以外でも無料だった。
 看板のミレーの作品は「ミレー館」で展示されていた。しかし見るべきはそれだけではなく,常設展で見ることができたのは収蔵品のごく一部だと思うが,国内外の名品が並び,密度の高い展示だった。

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Nov 08, 2016

水戸芸術館で25年前を思う

 某平日,初めて水戸芸術館へ行った。見たのは,現代美術ギャラリーの「クリストとジャンヌ=クロード アンブレラ 日本=アメリカ合衆国1984-91」という長い名の展示。ありがたいことに65歳以上は無料だった。1991年秋に,茨城県の常陸太田の川沿いに青い傘を1340本,米国カリフォルニアに黄色い傘を1760本立てたクリストの「アンブレラ・プロジェクト」にまつわる資料の展示である。
 私は25年前のこのプロジェクト(→参照)を,水郡線に乗って常陸太田まで見に行った。その後カリフォルニア会場で傘が風で倒れて死者が出る事故があってプロジェクトは予定より早く終わった上に,会期中天気が良くない日が多かったのだが,私が行った日はよく晴れて青い傘が山の緑に映え,まさに一期一会の体験だった。
 そのときのように,水戸はよく晴れていた。常磐線からも見える芸術館のシンボルの塔に登った。潜水艦のような丸い窓から那珂川が見えた。塔内のBGMは,芸術館を本拠地とする水戸室内管弦楽団の演奏だった。
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 帰りのバスの中の宣伝がちょっとおもしろかった。いわく「東大,医学部,早慶上智,偏差値40からの逆転合格は,………○○塾。筑波,茨大も○○塾。」 逆転専門らしい。


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Jun 29, 2016

イギリスのEU離脱

 6月24日昼過ぎ,イギリスの国民投票でEU離脱派が勝利というニュースに驚き,次のエントリーを書こうと思っていたところだったが気勢を削がれて,更新が遅れてしまった。接戦が伝えられていたものの,スコットランド独立の件と同様,最後は反動バネが働いて離脱にはならないと予想していたのだが,考えてみると,特にEU以前を知っている高齢層にとっては離脱が反動でもある。
 イギリスは通貨統合には参加していなかったが,EUの象徴が通貨ユーロである。EUの発足は1993年だが,2002年にユーロの紙幣・硬貨の使用が始まり,EUが誰にも実感される存在となった。2005年暮れに14年ぶりにヨーロッパに行き,オーストリアで初めて「ユーロ体験」をした。前のときに残っていたオーストリア・シリングの紙幣があったので,ユーロに両替できないか銀行で聞いたのだが,中央銀行へ行ってくれという返答だった。
 「理念先行」のヨーロッパ統合だったことが今回の英国離脱を招いた,という論調もあった。その統合の構想の源流はいろいろあるようだが,そのひとつはリヒャルト・クーデンホフ=カレルギー(1984-1972)によるものである。リヒャルトの父はオーストリア=ハンガリー帝国の外交官ハインリヒ,母は青山光子で,リヒャルトも東京生まれである。ミツコは後にヨーロッパでもっとも有名な日本人女性となった。(→参照

 サッカーの欧州選手権EURO2016で,その英国からイングランド,ウェールズ,北アイルランドがベスト16に入り,そのうちウェールズが準々決勝に進んだ。イングランドを破ったのはなんとアイスランド,人口33万人の超小国である。

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May 30, 2015

カバン事件始末――グアム旅行の前に

 先週末は,息子の結婚式のためグアム島へ出かけた。手続きや準備はちょっと面倒だったが,行ってしまえば面倒なことはなく,両人のごく親しい友人と家族,計18人の挙式・祝宴は,なごやかで楽しいものだった。昼間の気温は30度で,ここ数日の東京と同じぐらいだった。
 海外へ出かけるのは,2005年末にブダペスト,プラハ,ウィーンに出かけて以来9年半ぶり(→参照)。アメリカ合衆国は,昔トランジットのためアラスカのアンカレッジに降りたことがあるだけで,入国するのは初めてだった。

 その前週の金曜の夜,なじみの居酒屋Fでちょっとした事件があった。
 定量飲んで,9時半ごろ勘定をしてもらおうとしたら,席から4メートルぐらい離れたビールのケースの上に置いたカバンが見当たらない。その近くに少し似ているカバン(間違えるほど似てはいないと思うのだが)があり,聞いたら持ち主がなかったので,その近くにいた常連でない人が間違えて持って行ってしまったらしいと判明した。
 私はポケットに物を入れないことにしているので,財布もカードもすべてカバンに入っている。スマホだけはベルトにつけてあり,スイカアプリが入っているので電車に乗って帰ることはできるが,家の鍵がないので,入れるかどうかはわからない。残されたカバンを店の人がのぞいてみたところ,なんだか仕事のカバンらしい。なかったら向こうも困るだろうと思ったが,純粋に仕事用だとすると,今日は酔っ払ってしまって月曜朝まで気づかない可能性がある。
 なにもできずに待つこと30分ぐらいで,その人から店に「あと40分ぐらいで返しに行く」と電話があった。今日じゅうに解決しそうということになって,やれやれ。その後すぐにもう一度「もう少し早く着く予定」と修正の電話があった。一安心して,もう一杯飲んでいるうちに当人登場。無事カバンを交換し,お詫びの品(煎餅の詰め合わせ)をもらった。
 たぶん帰る途中で気づいて,まず店の電話を調べ,それからお詫びの品を買ってとんできたわけで,まあ律儀で行動がすばやい人なのだろう,それほど酔っていなくてよかった,などと,店のお姐さんや残っていた常連客と話をした。店を出て,どっと疲れが出た。

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Apr 02, 2015

心身症――1982年日航機羽田沖事故

 ドイツのLCC機墜落事故で,「副操縦士が故意に墜落させた」という見解があまりにすばやく示されたので,ほんとうにほかの可能性はないのかなと思っていたのだが,どうやらもう決まりのようだ。それでいやでも思い出すのが,1982年の日航機羽田沖墜落事故である。
 この年,2月8日未明に赤坂見附にそびえていたホテル・ニュージャパン(通称軍艦パジャマ)の火災があり,翌9日にこの日航機の事故があった。そして私たちは,10日夜には都内のホテルに1泊し,11日にウィーンへ出かけたのだった(つまりその,いわゆる honeymoon というやつです)。10日に泊まったホテルはホテル・ニュージャパンにも近く,非常口の案内はさすがに入念だった。

 それでウィーンでは,ネットなどない時代だからテレビのニュースで,日本でなにか起きていないか見ていたら,日航機事故のその後らしいニュースもあった。しかし,内容は皆目わからない。翌日,普通の現地の新聞の何倍かの金を払って英語の新聞を買ってみたところ,関係の記事があって psychosomatic disease という言葉がどうやらキーワードらしい。トランクの底に「非常用」として入れてあった英和辞典を引くと psychosomatic には「心身相関の」というような訳語があったが,よくわからない。
 その後,K機長がエンジンを逆噴射させたのが直接の原因で墜落したことが明らかになり,「心身症」(これが psychosomatic disease の訳語),「逆噴射」,「キャプテン,やめてください」(副操縦士の呼びかけ)といった言葉が,K機長の名と共に人々の記憶にきざまれた。

 ウィーンからの帰途に飛行機の中で広げた日本の新聞で知った別の大きなニュースは,江利チエミの死去だった。

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Jul 21, 2014

雨後の修善寺,雨中の軽井沢

 7月某日,台風が駆け抜けた直後の伊豆の修善寺に行った。子供のころに狩野川台風というのが来て恐ろしかったという記憶があるので,出かける前には心配もあったが,台風は予想より早く行ってしまって,当日は暑くなった。
 町の中央を流れる川の岸に大型のクレーンが出ていた。川の中にある「独狐(とっこ)の湯」の小屋が台風に備えて避難してあったのを,元に戻す作業をしているのだった。地元の人に聞いたところ,この川は狩野川の支流で,狩野川台風の時は氾濫しなかったが,その後2回かなりの水害にあっているので,台風のときなどは独狐の湯の小屋を外して避難させるのだという。Aap7111251


 その2日後,こんどは軽井沢へ軽井沢高原文庫の立原道造展を見に行った。いつもは駅から自転車を借りて行くのだが,駅を降りるとわずかながら雨が降っていたので,やむを得ずタクシーを使った。
 見終わったときにはどしゃ降り。しばらく待ったが小雨になる気配はなく,またやむを得ずタクシーを呼んで,中軽井沢駅へ。駅前では,お祭りを敢行してしていて,立派な神輿が雨の中できらめいていた。それにしても,雨で気の毒。
 駅前の蕎麦屋「かぎもとや」で昼食。雨でも混んでいたがすぐ座れた。後で調べたら,かぎもとやは17年ぶりだった。蕎麦には漬け物がついてくるとか酒類は一人1本だけといったすっかり忘れていた掟を,ああそうだったなと思い出した。
 帰り,新幹線は満席で,高崎までの自由席特急券を買う。予想通り自由席もいっぱいで,高崎からは在来線でゆったり寝て帰京した。

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Jan 19, 2014

冬の金沢文庫と称名寺

 称名寺と金沢文庫(横浜市金沢区)に行った。地元横須賀から近かったから意識の上ではなじみがあるが,前に行ったのはいつだったか思い出せないくらい久しぶりである。京浜急行の金沢文庫駅から歩いて,手前にある金沢文庫に先に入った。Aap1180857

 金沢文庫は鎌倉幕府滅亡後600年にわたって称名寺が管理していたが,昭和に入って神奈川県に移管され,現在は県立の博物館になっている。「金沢」は歴史の教科書では「かねさわ」になっていて驚いた覚えがある。昔は「かねさわ」だったというが,現在の地名および博物館の表記は「かなざわ」である。
 「武州金沢 道しるべ」という特別展が開かれていた。道しるべ自体よりも,江戸の観光名所だった金沢八景の絵図などがおもしろかった。金沢八景は江戸の景勝地であり,池波正太郎の「御宿かわせみ」シリーズにも最後の方で金沢八景が登場する(→参照)。
 金沢文庫から崖をくりぬいたトンネルをくぐると称名寺の境内に出る。山に抱かれ,池を中心に広がる大庭園は,発掘調査や絵図を基に1970~80年代に復元・整備されたもの。真冬だが,武蔵国最南端の日差しは柔らかく,明るい。Aap1180868

 帰りは,これまた久しぶりの横浜シーサイドラインに乗った。

 子供のころ,両手の人差し指で口を左右に広げて,「こうやって,“金沢文庫”って言ってみろ」と言って「…○んこ」と言わせる遊びがあった。横須賀や横浜市南部では,金沢文庫は京浜急行の駅名として子供でも知っていたから,金沢文庫が使われたのだろう。全国的には「学級文庫」だと聞いたことがある。

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Sep 14, 2013

五能線に沿って

 9月の某日曜日,青森県の知人夫妻の車で,日本海に沿って鰺ヶ沢から十二湖へ走った。鉄道でいうとちょうど五能線のハイライト部分にあたり,国道101号線は海沿いを五能線と何度も交錯した。
 曇りときどき雨という天気予報だったが,雨は降らず,短時間だが青空も見えた。少し山に入って十二湖を散策。十二湖は実際には30以上の湖からなり,大きさも色もさまざまである。
 少し戻って,黄金崎の不老ふ死温泉へ。日本海へ沈む夕日を見ながら入れる海辺の露天風呂で有名(ただし,日没時に入れるのは宿泊客のみらしい)。温泉は黄土色で,海の中にもわき出していると見えて,海も一部黄土色になっていた。

 地方を車で走ると,東京とは感覚が大いに違う。東京では目的地まで30キロというと,1時間ちょっとプラス余裕の時間を見て1時間半かなという計算をするが,地方では30キロなら30分だという。カーナビも,「この先5キロ以上道なりです」などという東京では聞けないせりふをしゃべる。
 五能線には3回乗ったが,本数が少ないので途中下車ができず,十二湖や不老ふ死温泉は懸案のひとつだった。今回はその懸案を果たし,しかもその日のうちに新青森から帰京することができた。(五能線の旅については,本拠地の「鉄道の章」の「その後の断片」の「津軽・秋田 海を見た旅」を参照)

 ◇岩木山が出迎え(奥羽本線から)――クリックすると大きい写真が出ます
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 ◇十二湖のひとつ鶏頭場(けとば)の池,沸壺の池にて
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Aug 29, 2013

一休さんの橋

 いまの子供の世界でどうなのかわからないが,かつては「一休さんのとんち話」はよく知られていた。そのひとつに,「このはしをわたるへからす」という注意書きのある橋を小僧の一休さんが渡る話がある。
 しかし,子供のころこの話は,かんじんの落ちのところ,すなわち一休さんは橋の真ん中を堂々と渡って「端でなく真ん中を渡りました」というのがさっぱりわからなかった。まず,口語では「はじっこ」が普通で「端(はし)」という言葉はまったくなじみがなかったことに加えて,関東では,「橋」のアクセントは「シ」が高く,その後の助詞は下がるのに対し,「端」では「シ」の後の助詞は下がらない(平板型)という違いがあって,同じ発音という感じがしないことが大きかった。

 五十ぐらいになって,真夏のある日,京田辺市の酬恩庵一休寺に行ったことがある。一休禅師が死ぬまで住職を務め,葬られた寺で,なかなか美しい庭園があり,片隅に一休が真ん中を渡った橋が再現してある。
 一休の墓のあるところには立派な鉄の門があり,そこにはなんと菊の紋章があった。聞けば,一休さんは後小松天皇の落胤とされているのだという。つまり皇族なので,墓は今も宮内庁の管理下にあるのだそうだ。

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Jun 23, 2013

水戸――ガンバ・大相撲

 先日知人が,水戸で開かれたある学会に出席するために神戸発・茨城空港行きの飛行機に乗ったら,ガンバ大阪のメンバーといっしょだったという。一瞬,鹿島へ行くのかと思ったが,そうではない。ガンバは今はJ2なので,水戸で水戸ホーリーホックとの試合があるのだった。
 神戸―茨城という便があるのを今回初めて知った。J2のチームは北海道から九州までまんべんなく散らばっているから,移動の時間・費用の負担は大きい。こうした安めの航空会社の定期便の存在は,各クラブにとってありがたいことだろう。

 4月半ば,川沿いの春を訪ねて水郡線に乗った。帰りの水戸からの特急で,大相撲の巡業から帰京する一行といっしょになった。見たところ,力士としてはそう大きい方ではない人たちで,一応1人分の座席に座っていたが,椅子が悲鳴を上げているような感じがした。

注1 ホーリーホックという文字列を見るとついワーカホリックという言葉を連想してしまう。
注2 [豆知識]水戸の郵便番号は 310 です。

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