オペラ

Jun 22, 2008

ウィーン・フォルクスオーパー3連発(下)

承前
 フロトーはもちろん,「軽騎兵」序曲で中学生のころからおなじみのスッペも,オペラは初めてだった。共に他愛のない話としかいいようがないが,ミュージカルに連なる無類の楽しさだった。
 この2曲のうち,『ボッカチオ』の方が登場人物も多く,なによりボッカチオという大詩人を主人公にしていることで話に「厚み」がある。タイトルロールはアルトが歌い,非常に自然だった。これは戦後ずっと男が歌っていたのを,この演出で原曲通りのズボン役に戻したのだという。
 第1幕の舞台はフィレンツェの広場だが,ステージの奥行きの関係か,広場には見えず,街角の狭いスペースにぎっしり人が集まっていた。そこで「ベアトリねえちゃん~三馬鹿の歌」(浅草オペラでの題名)を歌う間抜け男トリオの1人は,シャンドール・ネーメットだった。ネーメットは,1985年に『チャールダーシュの女王』のフェリ・バーチ役で「ヤイ・ママン」の熱唱を聞いて以来,深く記憶にきざまれている歌手で,今回はこの日のみの出演。もう70歳近いはずで顔はさすがに老けたが,身のこなしは若い。

 フロトーはスッペより7歳,ワグナーより1歳年上で,しかも『ボッカチオ』がスッペ60歳のとき(1879)の作品なのに対し,『マルタ』はフロトー37歳のとき,つまり1847年初演という「古い」曲である。
 このオペラの「主題歌」は「夏のなごりのばら」,つまり「庭の千草」である。(字幕では終始「庭の千草」というタイトルを表示していたが,「夏のなごりのばら」としないとその前後の歌詞との関連がわかりにくい。) ほかに冒頭その他で歌われる合唱の曲は,日本では昔「じいさん酒飲んで酔っぱらって死んじゃった」という歌詞で知られていた。
 物語の焦点となる上流階級と庶民の交錯がおもしろく描かれていた。歌手もそれぞれ良かったが,マルタ役が非常に「庶民的」で,あまり「実は高貴」という感じがしなかった。

 この『マルタ』のすぐあと,新国立劇場の07ー08シーズンが終わった。あとは演奏会形式の『ペレアスとメリザンド』で今年前半のオペラは終わりの予定である。

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Jun 21, 2008

ウィーン・フォルクスオーパー3連発(上)

 まとめて書こうと思っているうちに旧聞になってしまったが,5月24日から毎週土曜日に3回連続で上野に通い,ウィーン・フォルクスオーパーの来日公演を見た。演目は,超定番の『こうもり』と,初めて見る『ボッカチオ』(スッペ),『マルタ』(フロトー)。
 フォルクスオーパーは,79年の初来日以来,以前は3,4年おきに来日していたが,今回は9年ぶり8回目だという。私の記録7回目なのだが,99年(確かに9年前)の前が93年なので,たぶん96年ごろに私の見ていない「6回目」があったのだろう。(この間,2005年にウィーンの本拠地で1度見た。[→参照])

 『こうもり』は,ハインツ・ツェドニクの伝統を重んじながらスピード感のある演出。去年の新国立劇場も同じツェドニクの演出でこれも良かったが,舞台装置が違うのと,今回はツェドニク自身がフロシュ役で出演していたことで,新鮮だった。(なお,91年末にウィーンで『こうもり』を見たときには,ツェドニクがアイゼンシュタイン役だった。)
 開幕して最初に声が聞こえるアルフレート役には,オペラ歌手としては引退したルネ・コロが特別出演した。70歳になったはずだが,10年ぶりに聞く声は,ときどきかすれ気味にはなるが,往年の輝きが十分に残っている。演技と併せて若い役を若く好演。考えてみるとワグナー以外の曲で聞くのは初めてだった。コロは確か,父も祖父もオペレッタ作曲家だから,先祖返りでもある。
 オルロフスキーはカウンターテナーによるこの役を確立したヨッヘン・コワルスキー。こちらは94年のウィーン国立のときに比べるとあの不思議な迫力は衰えていた。なお,この94年のときにアデーレだったリーンバッハーが今回はロザリンデを歌っていた。
  (続く

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Jun 11, 2008

ベルリン国立歌劇場1977 (2)――70/80年代の外来オペラ

承前
 『フィガロの結婚』は,NHKホールを避けて上野の1月29日夜にした。この日は昼夜2回『フィガロ』という大変な日で,スイトナーはすでに帰国していて,指揮はハインツ・フリッケという人だった。
 1974年バイエルンの『ワルキューレ』でヴォータンを歌ったテオ・アダムがこの公演の演出をつとめ,かつ自ら伯爵を歌った。伯爵夫人がアンナ・トモワ=シントウ,フィガロがジークフリート・フォーゲルという布陣だった。『フィガロ』を見るのは初めてだったので,一生懸命予習をしたつもりだったが,2幕・3幕のドタバタはけっこう複雑だし,4幕は夜の場面でしかも変装があり,ストーリーの展開を追うのがなかなか難しかった。それでも,チェンバロの伴奏によるレシタティーヴォをはさみながら,歌と芝居がテンポ良く運んでいく喜劇を楽しんだ。

 このベルリン国立歌劇場の招聘元は総合文化社という会社だった。当時の最大手の「呼び屋」は新芸術家協会で,ウィーン・フィルやベルリン・フィルの招聘を次々に手がけていたが,総合文化社は,その新芸術家協会に追いつけ追い越せとばかりに急速に事業を拡大していた。プログラムの冒頭に同社社長のあいさつがあり,そこでは7年間このオペラの日本公演の実現にすべてをかけてきたことについての感慨を述べ,最後を「苦難の状況の中で協力し続けてくれた総合文化社の仲間にも厚くお礼を述べたい」と,異例の身内への言葉で結んでいる。
 また,プログラムの後ろの方には

  とうとう日本にやってくる
   ウィーン国立国民歌劇場(フォルクスオーパー)
     1978年8月~9月
     指揮(予定):カルロス・クライバー
             オトマール・スイトナー

という予告が出ている。
 しかし,ベルリン国立歌劇場でよほど無理をしたと見えて,総合文化社は1977年秋にあえなく倒産してしまう。11月から12月にかけて予定されていた同社主催のズビン・メータ指揮ロサンジェルス・フィルハーモニーの公演は中止になった(メータは結局,単身来日して読響を指揮した)。ウィーン・フォルクスオーパーの初来日は延びて1979年になった。
 さらにその4年後の1981年,業界トップとして強気の商売をし,高額の入場料で非難を浴びていた新芸術家協会も,ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニーの来日中止をきっかけに倒産した。
  (この項終わり)

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Jun 09, 2008

ベルリン国立歌劇場1977 (1)――70/80年代の外来オペラ

 バイエルン来日の翌年(75年),初めてヨーロッパへ出かけ,ミュンヘンで『ボリス・ゴドゥノフ』,ウィーンで『コシ・ファン・トゥッテ』『タンホイザー』を,いずれも立ち見で見た。翌年二期会がこの3演目をすべて上演したのはおもしろい偶然だった。(ウィーンでの2本については,「本拠地」の「昔のエッセイ」の中の「立見席から――あるヴィーン便り」参照)

 次の外来オペラは,1977年1月のベルリン国立歌劇場。その後2007年までに計8回来日して25回の上演に接することになるこの劇場の初来日である。この劇場は当時はベルリンの壁の向こうにあり,レコードも少なく,長い伝統を誇るオペラハウスということ以外何も知らなかった。
 演目は『フィガロ』『ドン・ジョヴァンニ』『コシ』のモーツァルト3本で,東京,横浜,新潟,名古屋,大阪,札幌を転戦しながら,25日間に21公演(1日2公演の日が2回あり)が行われた。東京の会場は『フィガロ』『ドン・ジョヴァンニ』の各初日がNHKホール,地方公演後の1月下旬の公演は東京文化会館,『コシ』は郵便貯金ホール(今のメルパルクホール)だった。
 私は10日の『コシ』初日と29日夜の『フィガロ』最終回を見た。

 1月10日の『コシ・ファン・トゥッテ』はオトマール・スイトナーの指揮だった。スイトナーは当時この劇場の音楽総監督で,すでにN響への客演でおなじみになっていたスイトナーというのはこんなに偉い人だったのか,と思った。
 当日配られたメンバー表が,プログラムの間に挟まれて残っている。ワープロのないころで,ガリ版(死語か)のような筆跡の手書きのコピーである。セレスティーナ・カサピエトラ(フィオルディリージ),ペーター・シュライヤー(フェルランド),レナーテ・ホフ(デスピーナ),ジークフリート・フォーゲル(ドン・アルフォンソ)など,後に何度も聞くことになる東独の名歌手たちの名が並んでいる。特にフォーゲルは,いちばん最近の来日時(2007)の『モーゼとアロン』にも出演しているから,30年の長きにわたって接してきたことになる。
 上演の様子についてはこれまたほとんど覚えていないが,簡素ながら美しい舞台だった。
  (この項続く

 ◇注:見たオペラの記録は「本拠地」に作曲家曲目別・年代順リストがあります。

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Jun 04, 2008

バイエルン国立歌劇場1974 (3)――70/80年代の外来オペラ

承前
 徹夜して切符を買った『ワルキューレ』は『ばらの騎士』の2日後だった。指揮は当時51歳のサヴァリッシュ(音楽総監督),演出はギュンター・レンネルト(総監督)。こんどは5時開演なので,やむを得ず午後は休暇とした。
 イングリッド・ビョーナー死去のときにも書いたが(→参照),歌手は,ジェームズ・キング(ジークムント),カール・リッダーブッシュ(フンディング),テオ・アダム(ヴォータン),ギネス・ジョーンズ(ジークリンデ),ビョーナー(ブリュンヒルデ),ブリギッテ・ファッスベンダー(フリッカ)という音楽祭並みの豪華メンバーだった。予定ではブリュンヒルデは,当時の私でも名前を知っているビルギット・ニルソンだった(ビョーナーとのダブルキャスト)が,このときニルソンは結局来日しなかった。
 ピットの中は,たぶんワグナーの指定通りの人数(ヴァイオリン8プルトずつ)のオーケストラであふれ,後ろの仕切りを外して,ハープをちゃんと6台並べていたと思う。後に知り合いになる日本人ヴィオラ奏者I氏はすでに在籍していた。

 当時,オペラで字幕は出ない。家庭用ビデオもまだなかったので,「名曲解説全集」などを読んで「予習」する必要があった。会場にはレコード(CDでなくLP)に付属の対訳書を持ってきている人がたくさんいた。
 演奏・歌唱についてはこれももはやほとんど覚えていないが,音楽の力にもっとも動かされたのは,第3幕,ブリュンヒルデがジークリンデに,あなたは高貴なるヴェルズング族の後裔を胎内に宿していると告げる場面で,「英雄ジークフリートの動機」が登場するところである。「ジークフリートの葬送行進曲」の中のメロディとして以前からなじみ深かったので,旧知の友人に会ったような感じがした。ここは,4夜にわたる『ニーベルンクの指輪』の中でこの動機が初めて鳴り響くところなので,まったくの本末転倒ではあるが。
 この贅沢すぎる『ばらの騎士』『ワルキューレ』に圧倒されたことが,私のオペラ史の始まりになった。
  (この項終わり)

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Jun 01, 2008

バイエルン国立歌劇場1974 (2)――70/80年代の外来オペラ

承前
 さて,『ばらの騎士』当日の9月24日,5時半開演なので5時に会社を飛び出し,神田駅まで小走りに歩いて山手線に乗り,上野へかけつけた。
 席は4階センターの2列目あたりで,まず前奏曲が4階席までわき上がるような音の奔流で始まった。切符を斡旋してくれた友人から聞いた説によると,前奏曲の途中のホルンのプルルルン・プルルルン・プルルルンという三連音符は,幕が上がる直前に進行している(はずの)シーンのある種のクライマックスの描写だというが,それを過ぎて穏やかな音楽になり,鳥の声が聞こえるといよいよ幕が開く。そこは,後にレーザーディスクで見ることができるユルゲン・ローゼの装置による豪華な室内だった。窓から朝の光がふりそそぐのがことのほか美しく,その後上野ではたくさんの舞台を見てきたが,このときほど舞台が広く見えたことはない。
 4年前のクライバー死去の時に書いたように(→参照),指揮者の音楽を意識する余裕はなかった。豪華な舞台と寄せては返すように流れていく豪華な音に圧倒されるばかりだった。

 ところが第1幕の後半で,オペラ用の緞帳でない幕が突然するすると降りてきて,音楽が止まった。事故にしてはヘンだなと思ったらアナウンスが入り,爆破予告の電話があったので念のため爆弾の捜索を行うので,ロビーへ出ろという。開幕前からの「予定の行動」だったようだが,それならなぜ開演を遅らせて捜索しなかったのだろうと思った。あるいは予告の爆発時刻が7時,というようなことだったのかもしれない。結局40分ぐらいの中断の後,再開された。

 この『ばらの騎士』の歌手は,ギネス・ジョーンズ(元帥夫人),ブリギッテ・ファスベンダー(オクタヴィアン),カール・リッダーブッシュ(オックス男爵)といったメンバーだった。
 後にワグナーを何度も聞くことになるギネス・ジョーンズはこのとき36歳,ホフマンスタールの設定した元帥夫人の年齢32歳とあまり違わない年で,もちろん二十代前半の者から見ると堂々たるプリマドンナだったが,十分に若い姿・声だった。『音楽の友』の表紙を飾ったジョーンズの写真を自室の壁に貼っていた友人もいた。
 ファスベンダーも同年配で,なるほどズボン役というのはこういうものなのかと思った。
 このうち,ファスベンダーとリッダーブッシュには,翌年ウィーンで再び出会う。
 そして,その後のクライバーのカリスマ化は急だった。

 『ばらの騎士』は,次に実演を見るのは1981年のドレスデン歌劇場初来日でのことになる。それまでの間には,カラヤンのザルツブルク音楽祭の映画(1960)を2回ぐらい見た。
 1982年春,クライバー=バイエルンの『ばらの騎士』がNHK教育テレビで放送されるという予告が出たのを見て,あわてて秋葉原へ走り,それまで買うのを躊躇していたビデオデッキ(モノラル)を買った(当時は教育テレビはモノラル)。タイトルが出てすぐ演奏が始まり,最後も幕が降りたあと数秒で番組が終わるという3時間の枠ぎりぎりの放映だった。この映像も,上記カラヤンの映画も,後にレーザーディスク(今はDVD)で発売された。
  (この項続く

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May 31, 2008

バイエルン国立歌劇場1974 (1)――70/80年代の外来オペラ

 海外のオペラハウスの本格的な引っ越し公演は,1963年のベルリン・ドイツオペラが最初である。このオペラはその後66年,70年にも来日したが,そのころはまだオペラにはあまり興味はなかった。金もなかった。
 初めて本格的なオペラを見たのは就職してからで,1974年のバイエルン国立歌劇場(当時の日本語表記は「ミュンヘン・オペラ」)の初来日公演だった。このときは,友人から「関係者を通じて『ばらの騎士』の切符が買えるんだけど」と言われ,それじゃあということで行ってみることにした。
 パンフレットを入手して見ているうちにほかの曲も見たくなり,一般発売の前夜から竹橋の毎日新聞社に並んだ。電話予約もなく,プレイガイドに徹夜で並ぶのが普通のことだった時代である。毎日新聞は後援社のひとつなので,普通のプレイガイドよりは買いやすいと推測された。未明の点呼にはやむを得ずタクシーでかけつけたりして,結局『ワルキューレ』の切符を買った。

 このときの演目は上記のほか『ドン・ジョヴァンニ』『フィガロの結婚』で,東京では4演目が各3回(いずれも東京文化会館),大阪では『フィガロ』が3回,『ワルキューレ』『ばらの騎士』が各1回,ほかに特別演奏会が4回あった。指揮は『ばらの騎士』がカルロス・クライバー,他がサヴァリッシュとフェルディナント・ライトナーで,クライバーは「第3の指揮者」だった。サヴァリッシュはこのときすでに音楽総監督で,日本では1964年以来N響の指揮でおなじみになっていた。
  (この項続く

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May 25, 2008

短信 来日オペラの予定

 ウィーン・フォルクスオーパーの来日公演のプログラム上で,2009年~2011年のNBS主催公演の予定が発表されている。
 2009年秋スカラ座,2010年秋ロイヤルオペラ,2011年春フィレンツェと続き,最後は2011年秋のバイエルン国立歌劇場である。バイエルンの曲目は『ローエングリン』『ドン・ジョヴァンニ』『ナクソス島のアリアドネ』で,いずれも2008年~2009年にプレミエを迎える演出だという。
 2011年にはほかにメトとキーロフが予定されている。それぞれ,前回の公演最終日のカーテンコールで降臨した垂れ幕に書かれていた。
 この年になると,たった3年後,という感覚になる。

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May 03, 2008

暗譜――器楽の場合とオペラの歌詞

 指揮者は必ずしも暗譜で振らなくてもよいし,器楽のピアノ伴奏の演奏会などでも楽譜が置かれていることは多いが,オペラの歌手・合唱は必ず暗譜しなければならない。ミュンヘンの篠の風さんのブログを読んでいると,そんなあたりまえのことにあらためて気づかされる。ことに去年の『モーゼとアロン』の暗譜のことは何度も記されていた。
 器楽の独奏曲などは,それだけで完結した構成を持っているから,暗譜するのは難しくない。若いころなら,練習しているうちに自然に覚えてしまう。ちょっとした落とし穴はロンド形式のフィナーレやバロックの曲で,同じフレーズが戻ってくるたびに次にどこへ行くかで迷うことがある。
 昔,国内オーケストラの演奏会で,指揮者R氏(現在は同楽団名誉指揮者)の夫人がピアノ独奏者として登場,モーツァルトの d-moll の協奏曲を演奏したことがある。そのフィナーレの後半,ロンドのテーマが長調に変わっていくところで,ソリストが長調になるタイミングを間違えて混乱に陥り,R氏は夫人にいろいろ合図を送っていたようだが,混乱は次のトゥッティまで続いた。

 オペラでの暗譜というのはもちろん歌詞,それに演出上の動きも含めて「暗譜」する必要がある。しかも自分の歌うところは部分であり,その間や前後も頭に入れないといけないから,シーズンに登場するすべての曲を暗譜するのは大変なのだろうなと思う。
 たぶん有名な話だと思うが,1950年代ぐらいのこと,オペラの本番の途中で藤原義江が予定の動きをしないで前に出てきた。指揮者の森正はそのまま振りながら「違う,違う」と合図をするのだが,なおも出てくる。よく見ると,いや正しくはよく聞くと,藤原は森の方を見て,旋律は正しいまま「なんだっけなあ~」と歌っていたという。歌詞を忘れたのだった。プロンプターもいなかったのだろう。

 暗譜とは関係ないが,こちらは友人が実際に見た話。二期会の『ドン・ジョヴァンニ』(70年ごろ?)の大詰めで,騎士長の石像がドン・ジョヴァンニに向かって悔い改めるよう最後の警告をするところで,騎士長の故・大橋国一が「ドーン・ヴァジョーンニー」と歌ってしまい,そばにいた伊藤京子は吹き出しそうになるのを懸命にこらえていたという。

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Apr 17, 2008

怒濤の週末

 土曜日,車で出かけ,午前中にひとつ用事をすませた。続いて,午後,某ターミナル駅の駐車場に車を置いてから,旧友のヴィオラ奏者が主宰する室内楽の演奏会へ。大いに楽しみ,かつ休憩のときには久しぶりに会った友人何人かと言葉を交わした。
 終わって駐車場にとって返し,途中で黒いネクタイをして,伯父の通夜にかけつけた。ぎりぎりになってしまい,お坊さんの入場と同時に着席。親戚の食事にも出席した。

 翌朝,再び車で同じ葬祭場へ。こんどは葬式で,前夜はお坊さんがデュオだったが,この日はカルテットだった。
 昼に出棺になったあと,火葬場は失礼して,こんどは新国立劇場へ急ぎ,『魔弾の射手』を見た。充実した合唱に支えられた演奏だったが,第1幕はだいぶ居眠りをしてしまった。序曲の前にセリフによるプロローグがあった。
 早い夕食のあと,夜はさらにちょっとした打ち合わせがあった。長い2日間だった。

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Apr 05, 2008

カラヤン生誕100年

 今日(4月5日)はカラヤン生誕100年の日だそうだ。
 1966年の来日のときの初日は,今では考えられないが,NHKの総合テレビで夜7時から2時間にわたって生中継された。曲は,ベートーヴェンのコリオラン序曲,6番,5番だった。このときは5日間にベートーヴェンの交響曲が全曲演奏され,FMでは毎日生放送があったので,当時高校生だった私は,部活(吹奏楽)のあと,間に合うように走るようにして帰った。
 生で聞いたのは1回だけ,1970年の日比谷公会堂で,曲はベートーヴェンの2番と5番。抽選で2000円ぐらいで聞ける青少年のための特別演奏会だった。どちらかというと,カラヤンより,ベルリン・フィル,特にそのダイナミック・レンジの広さに感嘆した。

 レコードでは,70年代のすべすべなでなでという感じの音が何とも不自然に思えて,気に入らないことが多かった。しかし,オペラをよく見るようになると,あらためてすごい指揮者だと思うようになった。特に印象的なのは,『サロメ』のLPと,『ドン・カルロ』のLDである。「別格」は古い方の『ばらの騎士』で,最初はヤマハ・ホールでの上映を見たが,後にLDで発売になったときは飛びついて買った。

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Mar 18, 2008

カササギ飛んだ

 このブログを開設してすぐ書いたのが藤原歌劇団の『アルジェのイタリア女』のことだったが,それ以来ちょうど4年ぶりに再び藤原歌劇団のロッシーニを見た。演目は,小太鼓で始まる序曲のみ有名な『どろぼうかささぎ』
 分類では「セミ・セリア」というのだそうで,全体としてはシリアスなドラマであるが,随所にブッフォの要素がある。
 ロッシーニのテノールのスペシャリスト,アントニーノ・シラグーザを初め,歌手は好調,指揮はアルベルト・ゼッダも鮮やかだった。ゼッダは学者でもあり,ここ40年あまりの「ロッシーニ・ルネサンス」に大いに貢献してきた人だという。

 今回の上演で大活躍したのはタイトルロール(?)のカササギだった。ラジコンのカササギが舞台上を自在に飛び回ったのである。オペラグラスで見るとプロペラがついているのがわかるが,回っているとあまり目立たず,非常にリアルだった。カーテンコールでは,鵜匠のような姿をした「かささぎ匠」がラジコンのコントローラーを持って登場し,カササギは客席の上空を旋回した。

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Mar 08, 2008

ジョン・カルショーの自伝

 デッカのレコード・プロデューサーだったジョン・カルショーの自伝『レコードはまっすぐに』(山崎浩太郎訳;学研)をようやく読み終えた。昨年12月に同じ著者の『ニーベルングの指輪――リング・リザウンディング』(学研)を読んだあとすぐに入手し,12月に「来週あたり集中的に読むようにしよう」などと書いた(→参照)が,はっきり言って前著ほどおもしろくなくて,読むのに思わぬ時間がかかってしまった。
 自伝のつもりだから,デッカ入社前のことが長い。戦勝国イギリスの軍隊にも多くの不合理・不条理があったことを知ったのはまあ有益だったが,物語としてはおもしろくない。しかも未完となったので,まとまりは悪いし,データの誤りもある(訳注でいろいろ指摘がある)。

 前著のようなひとつのテーマによるものではないので,少なくともレコーディングに関しては「指輪以外」の落ち穂拾いである。それでも,その中のエピソードには,カラヤン,デル・モナコ関係のものなど,印象に残るものが多い。ジュゼッペ・ディ・ステファノも何度も登場するので,先日の訃報を目にしたときに,知人が亡くなったような気がした。

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Mar 05, 2008

ホール・オペラのヴェルディ

 サントリーホールの「ホール・オペラ」のシリーズは,89年以来何度も聞いた。最初のころはほぼ「演奏会形式」で,歌手と譜面台がずらっと前に並んでいたが,次第にオペラらしくなり,オーケストラがステージ(のやや後方)にいることを除いては「ほとんどオペラ」になった。
 今年からは路線が変わってモーツァルトのシリーズだが,ずっとヴェルディとプッチーニが主だった。

 90年の『シモン・ボッカネグラ』は,1989年末のルーマニア革命の直後だった。たまたまルーマニア出身の歌手がいたこともあって,プロローグで合唱が「貴族を倒せ」とさけぶあたりは妙に現実感があった。

 91年の『オテロ』では,指揮者がステージにいるホール・オペラならではのできごとがあった。終演後盛大な拍手がひとしきり続いた後,指揮者のグスタフ・クーンが指揮者用譜面台の上に置かれていた青緑色のスコアを手にして,高く掲げたのである。それは「演奏者に対する拍手をありがとう。でも,いちばん偉いのは作曲者のヴェルディ。讃えられるべきはヴェルディです。」という意味であることが「文脈」から直ちに聴衆に理解され,ホールはさらに盛大な共感の拍手に包まれたのだった。

PS ジュゼッペ・ディ・ステファノの訃報が昨日の夕刊に出た。

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Feb 26, 2008

レーザーディスク vs VHD

 次世代DVDの規格として HD-DVD を推進してきた東芝が撤退するというニュースに関連して,しばしば家庭用ビデオにおける VHS とベータの規格争いが引き合いに出されている。これほどのスケールでなかったから忘れられているが,80年代にはビデオディスクを巡ってもレーザーディスク(LD)対 VHD という規格争いがあった。
 LD は,意外なことに,音声だけの CD より早く実用化された。業界団体の会合にパイオニアの人がやってきて LDのデモを見せられ,鮮明な映像に驚いたのは 1980年ごろだった。1981年にプレーヤーが発売になった(CD プレーヤーは 1982年)。
 VHD はビクターと松下が推進したもので,プレーヤーの発売で LD に後れを取り,1983年になった。LD が LP と同じ 30cmの盤だったのに対し,VHD は一回り小さく,長方形のケースごとプレーヤーに入れるようになっていた。

 オペラのソフトがどうなるかが,私には気がかりだった。全体にソフトの数が今の DVD とは比較にならないくらい少ない中での話だが,最初のうち,オペラソフトのカタログ内容で VHD がややリードしている感があった。特に,ウニテルの映像が VHD で出るようになって一時は VHD に傾いた。
 しかし,LD の方が基本的に映像がきれいだし,細かい前後関係は忘れたが,ハードの方はソニーが LD に加わって活気を見せてきて,CD とのコンパチブル機もいずれは出ると聞き,迷う要素が増えた。やがてフィリップス・ドイツグラモフォングループが LD(当初は CD-Video LD という名称だった)を出し始め,ウニテルのソフトが LD でも出る予定,という雑誌記事を見て,LD にすることにした。
 VHD で出ていたソフトはその後 LD で大部分出たが,ベームの『こうもり』はたぶん LD では出なかった(その後 DVD で出た)。

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Feb 23, 2008

ワグナー『妖精』

 東京オペラ・プロデュースのワグナー『妖精』を見た,と書こうとしていたところ,その代表の松尾洋氏(演出家)が公演終了の翌日亡くなったと聞いて驚いた。プログラムには「稽古直前に病に倒れて入院加療中」と書いてあり,演出は他の人と連名になっていた。
 東京オペラ・プロデュースの公演はいつも気になってはいたのだが,これまでに見たのは1980年の『カプリチオ』,1987年の『サロメ』だけで,20年ぶりということになる。『カプリチオ』は,それほど金があるはずがないのに非常に美しい舞台だった,という記憶がある。

 『妖精』はワグナー21歳のときの最初のオペラで,日本初演。聞いた感じがいちばん似ているのウェーバーで(といってもウェーバーは『魔弾の射手』以外は序曲しか知らないが),言われなければとてもワグナーとは思えない。それでも,『オランダ人』でダーラントがオランダ人を自宅に連れてくるあたりを思い出させるような旋律や,ちょっとした装飾音符など,ワグナーの片鱗はかすかにうかがえる。『魔弾の射手』からわずか13年後に二十歳そこそこでこれだけの「ドイツオペラ」を作るというのはやはり並ではない。
 演奏は,女声陣が立派だった。特に主役のアーダを歌った大隅さんという人は,基本的にはリリカルな歌いぶりだが強い芯の通った美声で,他の役も聞いてみたくなった。

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Feb 17, 2008

日生劇場の空間

 日生劇場は1963年の開場だからもう45年前のことになるが,コンサートホールではなく劇場らしい夢のある空間の魅力は色あせていない。
 こけら落としはベルリン・ドイツオペラの『フィデリオ』(カール・ベーム指揮)で,これが初めてのオペラハウスの引っ越し公演だった。客席数1300あまりの劇場での引っ越し公演というのも今となっては遠い昔の夢である。

 初めて日生劇場へ行ったのは,たぶん1974年の劇団「四季」の『ウェストサイド物語』だった(→参照)。その後日生劇場では,二期会の『後宮からの逃走』『コシ・ファン・トゥッテ』の連続上演(コシュラー指揮,1976),二期会『蝶々夫人』(三谷礼二の美しい舞台,1977),日生劇場主催の『魔笛』(釜洞祐子が夜の女王,1983),『イリス』(粟国安彦の美しい舞台,1985)など,印象深い舞台をいくつも見たし,森山良子や越路吹雪も聞いた。

 ホワイエでの思い出もある。他のホールでビールやワインを供するようになる前から,日生劇場では幕間にアルコールが飲めた。あるときその列に並んだら前がバリトンの故・立川清登氏で,立川氏のビールを注いだところでタンクが1つ空になった。立川氏は列の後ろのわれわれに向かって「すみませんねえ,この(タンクの最後の)濃いところをもらっちゃいました」。タンクの交換に少し時間がかかることを見越して,後ろに並んでいる人への心配りだった。
 もうひとつは,二期会の『カーチャ・カバノヴァ』(1981)の幕間で,マリファ役で出演しているアルト歌手の夫君とおぼしき人のグループの会話が聞こえてきた。「奥さん,好演ですね」「まあ,地でいってますから」 マリファというのは,嫁いじめをしてヒロインを自殺に追い込む鬼姑である。

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Feb 10, 2008

マリインスキー『イーゴリ公』

(承前)
 マリインスキー・オペラのもうひとつの演目『イーゴリ公』の日は大雪だった。この劇場の前回の来日時にも『ジークフリート』の日が雪だったのを思い出す。
 会場は久しぶりのNHKホール(このところなるべく横浜へ行くようにしていた)で,席は,私見ではこのホールでは最良の席である3階サイドの前の方だった(2階のセンターなんかよりずっといい)。

 このオペラはボロディンが完成できずに終わり,一応完成させたリムスキー=コルサコフ+グラズノフの版にも毀誉褒貶があるようで,上演の数だけ版があるという。今回の版は12月の北京公演で初演された「2007年ゲルギエフ版」だとのことで,プログラムに書いてあるものから変更になり,この版の構成を説明したリーフレットが挟んであった。
 『3つのオレンジ』と対照的に,背景の建物の書き割りが少しデフォルメされて軽い感じなのを除いて,古色蒼然のどっしりした舞台だった。これはこれでロシア・オペラの魅力である。
 配布されたメンバー表からタイトルロールの歌手が変更になり,その歌手が非力なのが残念だったが,大合唱とバレエが堪能できればそれでよい。それこそ版によるのだろうが,この曲の合唱は曲の半分ぐらい舞台にいるのではないだろうか。
 「ポロヴェツ人の踊り」の振り付けは,なんと1909年ものを踏襲していた。

 この日は,今回の公演の最終日で,カーテンコールでは恒例の花吹雪が舞った。降りてきた看板には「2011年にまた会いましょう」と書いてあった。

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Feb 09, 2008

マリインスキー『3つのオレンジへの恋』

 今年のマリインスキー・オペラ(サンクト・ペテルブルク)は,4演目のうち『3つのオレンジへの恋』『イーゴリ公』を見た。
 『3つのオレンジ』を見るのは初めてで,先日買ったDVDをざっと見たが,有名な行進曲以外は何も印象に残らないまま当日となった。プロコフィエフの実演に接するのは3曲目で,いずれもこの団体(旧称はキーロフ・オペラ)だったが,今回は初めての喜劇である。会場は上野。

 場内が暗くなって,客席の通路でなにやら制服の男たちが立ち騒ぐのが開演だった。その後も随所で人が客席に(2階センターや3階サイドの席にも)現れる。ミュージカルのように,ピットの前縁に花道が作られていた。
 物語は基本的にコメディアデラルテの定型によっている。おしゃれな色彩の抽象的な舞台装置の中で,大柄の歌手も軽快に走り回っていた。3人の「姫」がいずれも見目形の良い歌手だったのも吉。
 料理女役がバス歌手というのはプロコフィエフのおもしろいアイディア。ズボン役の逆だからスカート役とでもいうべきか。プロコフィエフの音楽は喜劇に合っているようだ。

 前回2006年のこのオペラの公演は過密日程の「圧縮リング」だったが,今回も9日間に4演目を全部で9回公演,しかも2月2日は昼夜違う演目を場所を移動しての上演だった。

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Dec 09, 2007

ジョン・カルショーと『ゴールデン・リング』

承前
 ジョン・カルショーの手記『ニーベルングの指輪――リング・リザウンディング』には,このレコーディングを題材にしたBBCテレビのドキュメンタリー番組のこともかなりのスペースを割いて記されている。記録する立場であるプロデューサーが,ここでは記録される立場になって,とまどいつつ楽しんでいるようだ。

 読了後,その番組『ゴールデン・リング』のLD(learning disabilitiesではない)を取り出して久しぶりに見た。たぶん,買った直後に見て以来である。ちょっと見るだけのつもりだったが,おもしろくて結局全部見てしまった。本の中で,BBCのチームが,デッカのレコーディングチームの熱気を目の当たりにして,次第にそこにのめりこんでいく姿が印象的だったが,その「結果」がモノクロ90分の中に凝縮している。
 ニルソン,ホッターらの名歌手,ショルティ,およびウィーン・フィルのウィリー・ボスコフスキー(コンサートマスター)やベルガー兄弟らの姿が見られるし,録音中のもっとも愉快なエピソードである「グラーネ事件」(このことは,『指輪』LPの解説書にも写真入りで載っていた)の模様も出てくる。(『ゴールデン・リング』は今はもちろんDVDで出ている。)

 その後,カルショーのもうひとつの著書『レコードはまっすぐに』(学研)も見つけた。『リング・リザウンディング』以上の大冊である。来週あたり集中的に読むようにしよう。

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Dec 07, 2007

ショルティの『指輪』とジョン・カルショーの手記

 ショルティ指揮,ウィーン・フィルによる『ニーベルングの指輪』の録音(1958-65)のプロデューサー,ジョン・カルショーの手記『ニーベルングの指輪――リング・リザウンディング』(学研)を,寸暇を惜しんで読んだ。読むのを中断するのが惜しくて,最後はJR東京近郊区間の「大回り乗車」をして電車内で読んだ。
 同じ本の翻訳は,昔,音楽之友社から出ていたが,今回のはそれとは別の訳である(旧訳の訳者が序文を書いているのもおもしろい)。旧訳は長いこと絶版になっていて,何度か神保町の古賀書店(音楽書専門の古書店)で聞いてみたが,手に入らなかった。
 録音開始のときカルショーは34歳,準備を始めたときは30そこそこだった。この大プロジェクトを,こんな「若僧」にやらせてしまうデッカの太っ腹は見事というほかはない。ただ,『指輪』全部を録音するかどうかは最初はまったくわからなかったようだが。

 録音は1958年の『ラインの黄金』で始まった。戦後のウィーン国立歌劇場は,それまで『指輪』は仮小屋での『ワルキューレ』以外はやったことがなくて,ウィーンフィルの戦後のメンバーはこの録音が『ラインの黄金』初体験だったというのを初めて知った。考えてみれば,戦後劇場を再開したのがその3年前の1955年だったから,それも当然なのだが(戦後初めての『指輪』はその直後に始まったカラヤンによるものだとのこと)。

 日本でこのLPがセットで出たのは1968年だった。そのころの私はワグナーはいくつかの序曲・前奏曲以外何も知らなかったが,この豪華なセットが大きな話題になったのはかろうじて覚えている。たしか定価は45,000円,当時の初任給を大きく上回る額で,学生が買うなど考えられなかった。
 私が買ったのは,70年代後半に定価30,000円で発売になったときである。「ライトモチーフ集」3枚がついて,だぶん22枚組だった。解説書(歌詞対訳入り)の厚さは1cm以上もあり,友人と「これはリブレットじゃなくてリブロだね」などという話をした。
 その後,前世紀末ごろに輸入盤CDで買い直したときは2万円ぐらいだった。感覚的には,最初のLPの10分の1以下の価格である。
 今や『指輪』全曲の録音は十何種類もあるが,この最初のものが今も「現役」であり,しかもしばしば最良のものとされているのは,草葉の陰のカルショーも誇らしく思っていることだろう。

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Dec 02, 2007

ドレスデンの『サロメ』

 ドレスデン歌劇場の3つめの演目は『サロメ』。10月のベルリンの『モーゼとアロン』,2001年バイエルンの『フィデリオ』に続くペーター・ムスバッハの演出である。(『フィデリオ』はまったく印象に残っていないが。)
 開幕前の舞台上の下手脇にハーモニウムとオルガンが見えていた。これは元々ピット内ではなく off stage という指定なのだが,逆に on stage である。目障りだなと思ったのだが,実は手前が尖った三角形の装置の上ですべてが進行し,舞台全体の3分の1以下しか使わないので,まったく邪魔にならないのだった。その三角形は急坂になっていて,ナラボートの血がなくても滑りそうだった。

 これまでに『サロメ』は7種類の演出で見たが,今回はそのどれとも違う点が多い「変わったサロメ」で,息つく暇もなかった。その主な点:

・小姓を男役にしている(メゾが男装で歌う)。
・ヨカナーンが地下牢にいないでずっと姿を見せている。
・七つのヴェールの踊りで,サロメはヘロデを激しく誘惑し,ヘロデを脱がようとする。(自分は脱がない。)
・踊りの最中にヨカナーンに触り,ついには縛る。
・ヘロディアスも対抗上(?)ストッキングを脱ぎ,ヘロデを縛るのに加わる。
・ヨカナーンの首は出てこず,サロメはその死体(ナラボートの死体があったのと同じ場所にころがる)と共にシーツにくるまる。

 タイトルロールはカミッラ・ニールント,ヨカナーンはアラン・タイトスで,共にこの6月に初台で歌ったばかりの人たちだった(元帥夫人とファルスタッフで)。2人とも全体としては立派だったが,ニールントは後半少し疲れが出たような感じだったし,タイトスはサロメを魅惑する若い男という感じはしない(ファルスタッフだったらそのままでいいような体型だし)。

 これで,ベルリン州立,ドレスデンと続いた旧東独の団体によるドイツオペラ強化月間が終わった(『ドン・ジョヴァンニ』は「イタリアオペラ」だが)。

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Nov 23, 2007

ドレスデンの『タンホイザー』『ばらの騎士』

 ドレスデン国立歌劇場の『タンホイザー』『ばらの騎士』を,共に神奈川県民ホールの1階の6列という席で見た。6列といっても,ピットを使うときは5列までは「欠番」で,最前列なのだった。
 5メートル先であのオーケストラが演奏しているというのは贅沢の極みだった。管楽器の呼吸まで感じられた。近すぎてバランスが悪いし,ずれて聞こえることもあったが,金管楽器のそばでも決してうるさくないのには感嘆するばかりである。

 『タンホイザー』はペーター・コンヴィチュニーの演出で,すでに10年たった演出でもあり,コンヴィチュニーとしては先鋭的ではない。なんだか変なところもあったが,まあわかりやすくできている。何度も見たいとは思わないけれど。
 動きの軽いやんちゃなタンホイザーがおもしろかった。ヴェヌスブルクの場面にはバレエがなく,ヴェーヌスの周りの女性は合唱団の人たちで,タンホイザーの人形をもてあそんでいた。最終場面では,ヴェーヌスがタンホイザーとエリーザベトを抱きかかえたまま幕となる。
 歌手ではエリーザベトのシュヴァンネヴィルムスが声・姿とも吉。

 そのエリーザベトが,『ばらの騎士』では元帥夫人になって登場した。ラウフェンベルクという人の演出で,舞台は20世紀半ばという設定らしいが,第1幕では古い『ばらの騎士』の舞台の元帥夫人の部屋がはめこんであり,貴族の没落が台本では「予感」だったのが,現実のものとなっている。
 オックス男爵は久しぶりのクルト・リドルで,かなりの年だと思うが声はつややか。非常に上品なオックスだった。ゾフィーは森麻季で,役にふさわしい透明な声と細い身体の持ち主。カーテンコール時のブーには賛成できない。オクタヴィアンも,あまり男役っぽい声ではなかったが立派。
 『ばらの騎士』は1981年の来日時にも上演された。まだゼンパーオーパーが再建される前で,舞台装置は簡素,歌手も超一流とは言い難かったが,オーケストラは当時も超一流だった。ホルンのペーター・ダムやオーボエのクルト・マンなどが活躍していたころである。

 ドレスデンで初演された演目ばかりの今回の公演,残るは『サロメ』である。

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Nov 05, 2007

美しき山々

 先日の『モーゼとアロン』の作曲者シェーンベルクについては,「十二音音楽」というスローガンばかり先に知っていたが,長い間,聞く機会はめったになかった。オーケストラの演奏会では,むしろベルクやウェーベルンの方が時々は演奏されていて,オペラでもベルクの『ヴォツェック』には接する機会があった。

 たぶん1976年~78年ごろだったと思うが,マウリツィオ・ポリーニのリサイタルを聞きに行った。メインプロはブーレーズのピアノ・ソナタ第2番だった。なんだかすさまじい響きで,しかも40分かかる大曲,技術的には超難曲だとのことで,圧倒されっぱなしでわけのわからなまま終わった。
 その後でアンコールに演奏されたのがシェーンベルクの小品で,ブーレーズの後で聞くと,実にかわいらしく,美しく,ロマンチックにさえ聞こえた。

 もっと前,学生時代に,おもしろいところがある,と先輩に連れて行かれたのが中野にあった古い名曲喫茶「クラシック」だった。ギシギシいう階段を上ると,店の中は叙情纏綿の弦楽の響きに包まれていた。だれの曲だろう。マーラーを知っていればマーラーかなと思っただろうが,当時マーラーはかろうじて「巨人」をちょっと知っているという程度だった。
 終わって曲名が告げられた。シェーンベルクの「浄められた夜」の弦楽合奏版だった。

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Oct 28, 2007

カーテンコールにオーケストラも

 オペラのカーテンコールにオーケストラが登壇するのは,私の経験ではバレンボイムのときのみである。

 1997年11月のバレンボイム指揮ベルリン国立歌劇場の『ワルキューレ』のカーテンコールでのこと,ソリストのあいさつがひとしきり続いた後,幕が上がり始めた。あれ,合唱はないのになぜ,と思ったら,バレンボイムとオーケストラが全員ステージに並んでいたのだった。それまで,たとえば日本公演の最終日にオケも裏方さんもステージに登場することはあったが,オケのちゃんとしたカーテンコールというのはこれが初体験だった。
 このときの『ヴォツェック』でどうだったかはよく覚えていないが,公演最終日だったし,たぶんオーケストラも出てきたと思う。(もう1曲の『魔笛』はバレンボイムではなかった。)

 次は2002年1月の「リング」。『ワルキューレ』『神々の黄昏』では確かに「あり」だったが,たぶん他の曲でも同様だったのだろう。
 そして,今回は『ドン・ジョヴァンニ』『トリスタン』『モーゼとアロン』の3曲ともオーケストラがステージに登場した。
 『モーゼとアロン』では,最前列にチューバが大小2つ並んでいた。その小さい方は,見たことのない形・大きさのチューバだった。

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Oct 25, 2007

『モーゼとアロン』――ベルリン国立歌劇場最終日

 新しいパソコンが到着し,週末は設定やソフトのインストールに追われた。その合間を縫うようにして,ベルリン国立歌劇場の『モーゼとアロン』(20日),新国立劇場『タンホイザー』(21日)を見た。(この「2日連続」はひだまりさんと同じだったらしい。)

 『モーゼとアロン』の登場人物はみな黒の上下に白いシャツ,黒のネクタイ,サングラス,黒い髪のやくざスタイル,舞台装置も黒っぽくて,金色の偶像以外すべてがモノクロの世界だった。退廃と酒池肉林の場面でも,なにもそれをうかがわせるものはなく,動きのあるオラトリオ,という感じだった。モーゼ(ジークフリート・フォーゲル),アロン(トマス・モーザー)を含め,ソリストも同じ服装で,なかなか区別が難しい。
 それだけに,音楽の色彩は印象的だった。特に各楽器の高音の組み合わせによるオーケストレーションは精緻を極め,それをバレンボイムとオーケストラが揺るぎなく具現化していた。
 このオペラは,1994年の東京交響楽団の第400回記念演奏会で見た。サントリーホールでの演奏会形式だが,前舞台(?)で主役2人が歌い,演技する上演で,このときもモーゼはジークフリート・フォーゲルだった。

 20日は,ベルリン国立歌劇場東京公演全体の最終日だった。23日間にオペラ11回,オーケストラの演奏会4回が行われた。ほんとに,お疲れさま。
 カーテンコールでは,「Sayonara」の垂れ幕が降りてきて,紙吹雪が舞い,樽酒の鏡割りが行われた。

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Oct 16, 2007

健民用ホール

 前回書いた『トリスタンとイゾルデ』は,NHKホールを避けて神奈川県民ホールのチケットを買っておいたものである。
 電車で行くつもりだったが,当日雨がかなり降っていたので車にした。順調に走って,だいぶ早く着いたので,県民ホール地下の駐車場に入れることができた。停めたあと振り返って,何番の区画に入れたのかを記憶しようと思ったら,この駐車場は区画に番号がなかった。たいした広さでないからかもしれないが,配慮が足りない。
 久しぶりに6階の海の見えるレストランへ。席に座ってから,同行者はコーヒーとケーキだけにしようとしたら,ランチタイムは食事の客のみだという。それならそうと入り口に書いておけと文句を言って退出。結局,2階の喫茶室で安価な昼食ができた。

 県民ホールはたしかNHKホールと同じ設計者だと思ったが,NHKホールよりはよほど音がいいし,見やすい。あとはロビーから海が見えるのがいい。
 しかし,このホールは,古い建物なので非常にバリアフルである。客用のエレベーターはなく,3階席など,平均年齢の高いオペラの客は休み休み登らなくてはならない。しかも,客席の傾斜がきつく,前の方の席からは休憩時にまた急な階段を登る羽目になる。
 席は3階の4列だった。4列というから4列目かと思ったら,センター席は1列~3列までは「欠番」で,4列が最前列だった。LおよびR席は,センター席より3列前に出ていて1列から数えている。最前列なのはありがたいが,前の手すりが低くて太もものあたりまでしかなく,出入りの時に恐怖感がある。
 しかし懲りずに,来月は,県民ホールに2回行くことになる。

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Oct 12, 2007

トリスタン 沈黙と奇声

 8日(月・祝)午後,バレンボイム=ベルリン国立歌劇場の『トリスタンとイゾルデ』(神奈川県民ホール)を見た。全体にB氏流の遅いテンポで,休憩を含めて5時間40分以上かかったが,弛緩せず,歌手も好調だった。ただ,美男美女とは言い難い歌手ばかりで,オペラグラスを使う気がしなかった。
 3階の最前列だったので,オーケストラの音が沸き立つように聞こえてきた。歌手とのバランスは多少悪いこともあったが,B氏(暗譜で指揮)の音楽が浸透して,昔の東独時代とは違うタイプの充実ぶりだった。
 最後は,音楽が消えてから10秒近い沈黙が支配した後に,拍手が起きた。

 2幕の終わりの方で,1階下手寄りの客席の方から,男の奇声が2回聞こえた。普通ではないということはわかったが,一瞬なので何がなんだかわからなかった。舞台はもちろん関係なく進行した。かなり大きな声だったので,休憩のロビーでは,もしかしたら元歌手じゃないのかなどという人もいた。
 3幕が始まる前に,件の客は病気であり,2幕のあと帰った,というアナウンスがあった。初体験の珍事である。

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Sep 30, 2007

今日はオペラだ

 今日(30日)は,3か月ぶりでオペラに出かける。この間引っ越し等があって非音楽的な生活が続いていたから,久しぶりのわくわく感がある。

 今はなき「パソコン通信」の Nifty-Serve の「クラシック音楽フォーラム」に「オペラの部屋」があった。そこで,その日にオペラを見る人から「今日はオペラだ」というタイトルの発言がよくあったのを思い出す。
 私の関わっていた鉄道フォーラムとクラシック音楽フォーラムは,Nifty の中でも屈指の大規模,かつ活発なフォーラムだった。鉄道フォーラムは独立のサイト「鉄道フォーラム」(一部会員制・有料)として活動を続けている。

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