神保町

Mar 11, 2017

オペラ関係の訃報――クルト・モル,アルベルト・ゼッダ

 バス歌手クルト・モル氏と,音楽学者・指揮者アルベルト・ゼッダ氏の訃報を相次いで聞いた。
 クルト・モル氏は1984年から2002年まで8回も実演に接した非常になじみ深い歌手である。まだ78歳だった。2006年7月に引退したときのことはこのブログにも書いたが,当時67歳だったことになる。以下はそのとき書いたもの:

 モルは,1984年,ハンブルク州立歌劇場来日公演の『魔笛』のザラストロを聞いたのを皮切りに,ポーグナー,騎士長,オックス男爵,マルケ王,ロッコ,グルネマンツなどで,深々とした声を堪能させてくれた。
 思い出の中で頂点をなしているのは,1988年秋のバイエルン州立歌劇場が当時のミュンヘンのフェスティバルと同じ超豪華メンバーで上演した『マイスタージンガー』のポーグナーと,1994年のクライバー=ウィーン国立歌劇場『ばらの騎士』のオックス男爵である。共に,もはや伝説の舞台となった。

 アルベルト・ゼッダ指揮のオペラを見たのは,このブログにも書いたが,2008年,藤原歌劇団のロッシーニ『どろぼうかささぎ』1回だけである(→参照)。しかし,ゼッダ氏はロッシーニ・ルネサンスの立役者であり,『どろぼうかささぎ』のほか,『アルジェのイタリア女』『ランスへの旅』『湖上の美人』などに接する機会を得られたのは,元はといえばゼッダ氏によるところが大きい。

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 相変わらず,週2~3回,神保町近くへ通っている。古書店の街,スポーツ用品店の街,カレーの街であり,またオフィスビルも多い神保町だが,学生の街という側面は今も「健在」である。
 2月の上旬・中旬には,地下鉄の出口に,明大・日大などの受験生のための案内人がプラカードを持って立っていた。3月になると,こんどは就活スーツの学生が街に多くなった。間もなく卒業式,入学式と,季節は移りゆく。

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Mar 19, 2016

回数券で神保町

 昨年11月で子会社勤務が終了し,無職になった(→参照)が,そこで終わらなかった仕事を片付けるために,その後,以前より勤勉に会社へ通う日が続いていた。それが先日,ようやく大部分終了となり,あとは残務整理と片付けのために時々行けばよいという状態になった。
 一方で,長年のつきあいの会社が机を貸してくれることになり,先週から,週に2,3回そこへ通うという新しい生活が始まった。最寄り駅は神保町で,元の会社の移転以来5年3か月ぶりの神保町近辺である。
 昼休みに少し近所を歩いてみたが,さすがに5年の間には新しい昼食の店がたくさんできていて,まぶしいほどである。来週は錦華公園の桜も見ることができるだろう。

 2月半ばに電車の通勤定期が期限切れになり,以後買うのをやめた。中学入学以来ずっと電車通学・通勤だったから,定期を持たない状態になったのは約54年ぶりである。
 Pasmo/Suicaを使っていると交通費についてあまり意識しないことが多くなっていたが,定期がないとなると交通費の負担が気になってくる。そこで使い始めたのが回数券である。通常の回数券(11枚で普通乗車券10枚分の値段,3か月有効)のほかに,主な私鉄では時差回数券(平日10~16時と土休日終日利用可),土休日回数券(土休日のみ利用可)がある。「時差」は12枚,「土休日」は14枚で10枚分の値段だから,特に土休日は28パーセント以上の割引になる。これだったら,退職と関係なく前から使えばよかったと思ったが,Later festival!(通勤定期は1か月に20往復しないと得にならない。)
 地下鉄(東京メトロ,都営地下鉄とも)の場合はさらに便利で,区間でなく値段ゾーン別になっている。だから,たとえば170円の券は170円区間ならどこでも使えるし,それで200円の区間に乗ったら精算機で30円払えばよい。

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Oct 08, 2015

神保町「徳萬殿」が閉店

 久しぶりに神保町のニュースをひとつ。古い中華料理店「徳萬殿」が10月10日に閉店するという。9月23日ごろ貼り紙が出たとのこと。
 徳萬殿には,入社して間もなくの1973年ごろから行き始めた。当時のこの店の特徴は「集中管理方式」である。店の中央にある板張りのブースに,高名な言語学者と同姓同名の店主が陣取り,会計をしながら,各テーブルからの注文を取りまとめて「(次は)タンメン3つ」「チャーハン4つ,ひとつ大盛り」といった具合に厨房の麺類担当者と炒め物担当者に指示を出すのだった。慣れた客は,店主に「(今なら)何が早い?」と聞いて次に作るものに「便乗」していた。
 70年代終わりごろだったか,店主の姿が見えないなと思ったら,ブースに某大学病院の名と部屋番号が連絡先として貼ってあるのが見えた。店主は結局,店に戻らないまま亡くなった。その後,店は大改装が行われ,経営者が変わったとみえて店名を維持したまままったく違うメニューになっていたが,2,3年して再び経営が変わったのか,元のメニューがほぼ戻ってきた。
 ここの名物は炒め物で,まずは「ウーシャンロー(五香肉)」である。ウーシャンというスパイスは今はスーパーにあるが,かつては普通には知られていなくて,徳萬殿でしか味わえない味だった。ウーシャンローを初めとして1人前の分量は多く,90年代にぐらいにメニューにあった「ほうれんそう卵炒め」は,1人前にほうれんそう1把以上(たぶん)を使っていた。中年になってからは昼食に炒め物を食べるとき,ご飯は半ライス(小さい茶わんに山盛り)にしていた(普通ライスは小どんぶり)。
 またひとつ,神保町の古い店が姿を消す。

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May 30, 2013

ホプキンス――広島 1975

 久しぶりに新聞でホプキンスという名前を見た。「お荷物球団」だった広島カープが1975年に初優勝したときの名選手ゲイル・ホプキンスが,日本整形外科学会出席のため広島を訪れた,というニュースでである。
 あのとき,決して広島ファンではなかったが,初優勝へ向けて地元とチームが盛り上がっていく姿に感動した。優勝が決まった試合はデーゲームで,勤務時間中だったが,テレビのある部屋に集まって中継を見た。その試合で勝利を決定づけるスリーランを打ったのがホプキンスだった。
 ホプキンスは,広島に来る前はメジャー・リーグに7年在籍したが,そのころから医学部を志望していて,広島の選手当時も医学書を手放さなかったという。まじめで温厚な人柄はファンに愛され,シーズン終了後日本を離れるときは,広島駅に数千人のファンが見送りに集まった。

 かつて広島カープの選手は,後楽園球場で試合のあるときは,神保町にあった小さなビジネスホテルK館に泊まっていた。今の神保町三井ビルの西南の隅あたりの場所である。玄関の周りは,今ごろの季節はあじさいの花でうまっていた。初優勝の翌年からは,宿舎もめでたくグレードアップし,神保町を離れて行った。

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Dec 20, 2011

神保町を離れて1年

 職場が神保町を離れてまる1年になった。あっという間という感じがするが,一方で,震災があったせいか,けっこう長かったような気もする。

 朝下車する地下鉄の駅にはエスカレーターがない。以前はエレベーターに乗っていたが,震災後乗るのをやめた。
 階段を上がったところは某公共的施設の敷地で,その中を通り抜けていくと少し近道になる。ところが,その敷地内で新しい建物の建設工事が始まり,その近道の一部がふさがれて道のりが長くなってしまった。勝手に敷地内を通っているので文句を言えた義理ではないが,近道の意味が薄れた。

 近道の利用と矛盾するが,朝ときどき,ふだんよりひとつ手前の駅で降りて,大通りの一本裏の道を会社まで歩く。途中に,2つの銀行の裏口が並んでいるところがあり,ときどきそこに現金輸送車らしき車が来ている。現金輸送車のルートや時間は毎日変わるという話を聞いたことがあるが,それほど大きく変える余地はないとみえて,何回かに1回は布の袋を運んでいるのにお目にかかる。

 神保町近辺は飲食店が非常にたくさんあり,「本拠地」でレポートしていたように,毎年100~140軒の店で昼食を食べていた。今の場所は,もちろん神保町にはかなうはずもないが,昼食の店は予想していたよりはずっと多く,歩いて6,7分程度まで足を伸ばせば100軒ぐらいはあるのは幸いなことである。

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Nov 05, 2011

神保町短信

 先日の『東京人』に続き,『散歩の達人』の11月号が「神保町まるごとBOOK」という特集をしている。内容はきわめて多彩で,路地をくまなく尋ねている感じがある。
 「グラン」「近江や」「さぶちゃん」の三兄弟の話が出ていた。兄弟だということしか知らなかったが,名字は木下さんというそうだ。一人が突然飲食店を始め,あとの2人が追随したらしい。

 神田古本まつりに,正味各1時間ぐらいだったが2晩通った。若い客がふだんよりずっと多いのは確かだが,古本を熱心に見ている人の平均年齢はやはり高い。
 神保町地区を離れて10か月あまり,やはりいろいろな変化がある。いちばんびっくりしたのは,神保町の交差点の南東ブロックの角にファミマができていたことである。元は回転寿司の「うみ」だった場所である。

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Oct 22, 2011

チャイナタウンとしての神保町

 『東京人』の11月号は,「孫文、魯迅、周恩来――留学生からはじまった チャイナタウン神田神保町」という特集である。神保町が一種のチャイナタウンだったということは以前から少しは言われていたが,この視点からこれだけまとまった紹介が行われたのはたぶん初めてだと思う。
 執筆者は,辻井 喬,楊逸(芥川賞作家),森まゆみなど,なかなか豪華。神保町から少し離れた湯島聖堂も扱われている。飲食店も重要な要素で,周恩来の詩が飾られている漢陽楼はもちろん何度も出てくるが,ほかに源来軒,揚子江菜館,スヰートポーヅ,威享酒店などが登場する。

 神保町の「チャイナタウン時代」は戦前の話だが,1970年代半ばでも古い感じの中華料理の店が何軒かあって,そう言われればちょっと中華街風だった。すずらん通りの今は郵便局のある場所にあった「廬山菜館」,すずらん通り中程で赤い窓枠で向かい合っていた「禮華楼」「楽楽」,ひとつ裏の「大雅楼」,もう少し東の明治45年創業の「萬楽飯店」,神保町三丁目の「源興號」などが点在していた。このうち,萬楽飯店以外は現存しない。
 廬山菜館は,当時少なかった四川料理の店で,5種類ぐらいあるランチのひとつはいつも麻婆豆腐だった。会社の先輩たちは,麻婆豆腐というものをここで初めて知ったという。
  (→参照:「本拠地」の「神保町昼食ニュース」2000年2月号)

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Dec 14, 2010

「神保町 昼食ニュース」休刊前最終号を発行

 長年暮らした神田の地をついに離れた。12月10日から13日の4日間かけて会社の移転作業が行われ,新旧の社屋を右往左往した。
 今年は自宅の引っ越しも経験した。それに比べると,今回のオフィスの引っ越しは家具の移動がないし(大部分の什器は新調した),生活用品がほとんどないから,「ひたすら段ボール箱」だった。

 引っ越し前はなにかとあわただしく,「本拠地」の「神保町 昼食の章」の「神保町 昼食ニュース」の休刊前最終号がなかなか書けなかったが,移転作業の最中の12日にようやく掲出した(2010年12月号)。
 1999年7月にほぼ「月刊誌」となってからの発行回数は137回だった。
 2000年以降は,昼食の店,食べたもの,値段のデータがあり,毎年1月に前年の記録を掲出している。今年については,正月に集計をし,あわせて10年間の総集編を作成したい。

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Nov 28, 2010

神保町便り

 「本拠地」の「神保町の昼食」の項に書いたように,会社が神田地区を離れる日が近づいている。引っ越し準備で社内はだんだん騒がしくなっていて,段ボールの山とゴミの山ができている。
 1996年から97年にかけて,神保町界隈で1年間毎日違う店で昼食を食べた(計210軒)。その記録と,それ以降の神保町の「昼食界」の動きを書き留めようというのが,「本拠地」開設のひとつのきっかけだった。1999年からは,昼食の店の開店・閉店を扱う「神保町昼食ニュース」を月刊で掲載しているが,これも移転に伴って「月刊誌」としては休刊ということにした。
 ブログを本にするサービスを使って,このブログを2回ににわたり,本にしたことがある(→参照)が,そのタイトルは『Bloghissimo―神保町便り』『同 2』である。ご覧のように,このブログでは神保町についての話題は非常に多いわけではないが,日常活動の舞台は大部分神保町近辺なのでこのタイトルにした。今後は,もし本にまとめるとしても,実際上「神保町便り」ではなくなってしまうだろう。

 現在,神保町とその周辺の主な工事としては,旧東洋キネマ跡地のビル(さくら通り),須賀楽器のビル(すずらん通り,Sガスト向かい)が進行中,旧住友銀行ビル(錦華通り入口右脇,一時三省堂書店の別館があった),錦町3-20のブロック(千代田通りと神田警察通りの交差点の北西側)が取り壊し中である。

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Nov 07, 2010

神保町 森崎書店

 日ごろ神保町を歩いていると,自分のことは棚に上げて,古本屋の客の平均年齢が高いなと思う。それが,神田古本まつりのときはふだんより若い人が増え,しかも女性の割合が上がるようだ,と思っていたら,11月5日の『東京新聞』朝刊に「神保町女子化 おじさんの街おしゃれに進化」という記事が出た。『森崎書店の日々』という古書店で働く女性を主人公にした映画も公開されているという。

 神保町の古書店が4階建て以上のビルを建てたのは,1970年代後半の小宮山書店のビルが最初だという。その頃ならもう神保町を歩いていたわけだが,低い建物ばかりの風景がとんと思い出せない。ただ,1980年の地下鉄新宿線の開通前の数年間は,大手町から神保町へビルが押し寄せてくるような感じがしたことを覚えている。
 スポーツ用品店が神保町のもうひとつの顔になったのも同じ頃だろう。一時はそこらじゅうにヴィクトリアがあって,そのうち千代田区神田ヴィクトリアという町名になるんじゃないの,などという冗談も出ていた。
 世界一の古書店街・神保町だが,ネットでの検索が便利になったので,売る方も買う方も必ずしも神保町でなくてもよくなった。一時は従来型古書店は衰退するのではという予想もあったが,ビルの賃貸料の低下などもあって,実際にはここ数年,神保町の古書店は増えている。

 上記『森崎書店の日々』は実際に神保町で撮影され,森崎書店は倉庫になっていた建物を使ったという。それはどうやら,すずらん通りからドトールの角を南へ行って次の角の右側,ドアが斜めにある建物らしい。あれは確か,今は徳萬殿の隣にある「ふらいぱん」が昔あった場所ではなかろうか。
 珈琲店のシーンは「きっさこ」(昔は「李白」だった場所)で撮影されたそうだ。

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