神保町

Dec 20, 2011

神保町を離れて1年

 職場が神保町を離れてまる1年になった。あっという間という感じがするが,一方で,震災があったせいか,けっこう長かったような気もする。

 朝下車する地下鉄の駅にはエスカレーターがない。以前はエレベーターに乗っていたが,震災後乗るのをやめた。
 階段を上がったところは某公共的施設の敷地で,その中を通り抜けていくと少し近道になる。ところが,その敷地内で新しい建物の建設工事が始まり,その近道の一部がふさがれて道のりが長くなってしまった。勝手に敷地内を通っているので文句を言えた義理ではないが,近道の意味が薄れた。

 近道の利用と矛盾するが,朝ときどき,ふだんよりひとつ手前の駅で降りて,大通りの一本裏の道を会社まで歩く。途中に,2つの銀行の裏口が並んでいるところがあり,ときどきそこに現金輸送車らしき車が来ている。現金輸送車のルートや時間は毎日変わるという話を聞いたことがあるが,それほど大きく変える余地はないとみえて,何回かに1回は布の袋を運んでいるのにお目にかかる。

 神保町近辺は飲食店が非常にたくさんあり,「本拠地」でレポートしていたように,毎年100~140軒の店で昼食を食べていた。今の場所は,もちろん神保町にはかなうはずもないが,昼食の店は予想していたよりはずっと多く,歩いて6,7分程度まで足を伸ばせば100軒ぐらいはあるのは幸いなことである。

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Nov 05, 2011

神保町短信

 先日の『東京人』に続き,『散歩の達人』の11月号が「神保町まるごとBOOK」という特集をしている。内容はきわめて多彩で,路地をくまなく尋ねている感じがある。
 「グラン」「近江や」「さぶちゃん」の三兄弟の話が出ていた。兄弟だということしか知らなかったが,名字は木下さんというそうだ。一人が突然飲食店を始め,あとの2人が追随したらしい。

 神田古本まつりに,正味各1時間ぐらいだったが2晩通った。若い客がふだんよりずっと多いのは確かだが,古本を熱心に見ている人の平均年齢はやはり高い。
 神保町地区を離れて10か月あまり,やはりいろいろな変化がある。いちばんびっくりしたのは,神保町の交差点の南東ブロックの角にファミマができていたことである。元は回転寿司の「うみ」だった場所である。

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Oct 22, 2011

チャイナタウンとしての神保町

 『東京人』の11月号は,「孫文、魯迅、周恩来――留学生からはじまった チャイナタウン神田神保町」という特集である。神保町が一種のチャイナタウンだったということは以前から少しは言われていたが,この視点からこれだけまとまった紹介が行われたのはたぶん初めてだと思う。
 執筆者は,辻井 喬,楊逸(芥川賞作家),森まゆみなど,なかなか豪華。神保町から少し離れた湯島聖堂も扱われている。飲食店も重要な要素で,周恩来の詩が飾られている漢陽楼はもちろん何度も出てくるが,ほかに源来軒,揚子江菜館,スヰートポーヅ,威享酒店などが登場する。

 神保町の「チャイナタウン時代」は戦前の話だが,1970年代半ばでも古い感じの中華料理の店が何軒かあって,そう言われればちょっと中華街風だった。すずらん通りの今は郵便局のある場所にあった「廬山菜館」,すずらん通り中程で赤い窓枠で向かい合っていた「禮華楼」「楽楽」,ひとつ裏の「大雅楼」,もう少し東の明治45年創業の「萬楽飯店」,神保町三丁目の「源興號」などが点在していた。このうち,萬楽飯店以外は現存しない。
 廬山菜館は,当時少なかった四川料理の店で,5種類ぐらいあるランチのひとつはいつも麻婆豆腐だった。会社の先輩たちは,麻婆豆腐というものをここで初めて知ったという。
  (→参照:「本拠地」の「神保町昼食ニュース」2000年2月号)

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Dec 14, 2010

「神保町 昼食ニュース」休刊前最終号を発行

 長年暮らした神田の地をついに離れた。12月10日から13日の4日間かけて会社の移転作業が行われ,新旧の社屋を右往左往した。
 今年は自宅の引っ越しも経験した。それに比べると,今回のオフィスの引っ越しは家具の移動がないし(大部分の什器は新調した),生活用品がほとんどないから,「ひたすら段ボール箱」だった。

 引っ越し前はなにかとあわただしく,「本拠地」の「神保町 昼食の章」の「神保町 昼食ニュース」の休刊前最終号がなかなか書けなかったが,移転作業の最中の12日にようやく掲出した(2010年12月号)。
 1999年7月にほぼ「月刊誌」となってからの発行回数は137回だった。
 2000年以降は,昼食の店,食べたもの,値段のデータがあり,毎年1月に前年の記録を掲出している。今年については,正月に集計をし,あわせて10年間の総集編を作成したい。

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Nov 28, 2010

神保町便り

 「本拠地」の「神保町の昼食」の項に書いたように,会社が神田地区を離れる日が近づいている。引っ越し準備で社内はだんだん騒がしくなっていて,段ボールの山とゴミの山ができている。
 1996年から97年にかけて,神保町界隈で1年間毎日違う店で昼食を食べた(計210軒)。その記録と,それ以降の神保町の「昼食界」の動きを書き留めようというのが,「本拠地」開設のひとつのきっかけだった。1999年からは,昼食の店の開店・閉店を扱う「神保町昼食ニュース」を月刊で掲載しているが,これも移転に伴って「月刊誌」としては休刊ということにした。
 ブログを本にするサービスを使って,このブログを2回ににわたり,本にしたことがある(→参照)が,そのタイトルは『Bloghissimo―神保町便り』『同 2』である。ご覧のように,このブログでは神保町についての話題は非常に多いわけではないが,日常活動の舞台は大部分神保町近辺なのでこのタイトルにした。今後は,もし本にまとめるとしても,実際上「神保町便り」ではなくなってしまうだろう。

 現在,神保町とその周辺の主な工事としては,旧東洋キネマ跡地のビル(さくら通り),須賀楽器のビル(すずらん通り,Sガスト向かい)が進行中,旧住友銀行ビル(錦華通り入口右脇,一時三省堂書店の別館があった),錦町3-20のブロック(千代田通りと神田警察通りの交差点の北西側)が取り壊し中である。

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Nov 07, 2010

神保町 森崎書店

 日ごろ神保町を歩いていると,自分のことは棚に上げて,古本屋の客の平均年齢が高いなと思う。それが,神田古本まつりのときはふだんより若い人が増え,しかも女性の割合が上がるようだ,と思っていたら,11月5日の『東京新聞』朝刊に「神保町女子化 おじさんの街おしゃれに進化」という記事が出た。『森崎書店の日々』という古書店で働く女性を主人公にした映画も公開されているという。

 神保町の古書店が4階建て以上のビルを建てたのは,1970年代後半の小宮山書店のビルが最初だという。その頃ならもう神保町を歩いていたわけだが,低い建物ばかりの風景がとんと思い出せない。ただ,1980年の地下鉄新宿線の開通前の数年間は,大手町から神保町へビルが押し寄せてくるような感じがしたことを覚えている。
 スポーツ用品店が神保町のもうひとつの顔になったのも同じ頃だろう。一時はそこらじゅうにヴィクトリアがあって,そのうち千代田区神田ヴィクトリアという町名になるんじゃないの,などという冗談も出ていた。
 世界一の古書店街・神保町だが,ネットでの検索が便利になったので,売る方も買う方も必ずしも神保町でなくてもよくなった。一時は従来型古書店は衰退するのではという予想もあったが,ビルの賃貸料の低下などもあって,実際にはここ数年,神保町の古書店は増えている。

 上記『森崎書店の日々』は実際に神保町で撮影され,森崎書店は倉庫になっていた建物を使ったという。それはどうやら,すずらん通りからドトールの角を南へ行って次の角の右側,ドアが斜めにある建物らしい。あれは確か,今は徳萬殿の隣にある「ふらいぱん」が昔あった場所ではなかろうか。
 珈琲店のシーンは「きっさこ」(昔は「李白」だった場所)で撮影されたそうだ。

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Aug 10, 2010

神保町・横須賀・13周年――夏三題

 今週はかなりの店が夏休みである。
 神保町では,「兵六」が例年通り2週間プラス週末で計16日間休んでいるのをはじめ,いつも行列の讃岐うどんの「丸香」は8日間の休みに入っている。ただし,兵六の貼り紙が,前後の土日まで含めて「7日(土)から22日(日)まで」としているのに対し,丸香は定休日の日曜を別扱いにして「9日(月)から14日(土)まで」と表示している。

 郷里・横須賀で,親戚のお通夜・葬儀に出席した。お通夜は車,葬儀は電車で行ったが,所要時間はほとんど変わらなかった。
 会場は,火葬場内に作られた市営の斎場で,葬儀のあと霊柩車でなくストレッチャーに載せられて出棺し,「火葬棟」へ移動する。焼ける間に別室で食事という「合理的」な進行だった。
 祭壇に果物のかごが飾られているのは普通だと思うが,その隣に,果物の缶詰やインスタント・コーヒーやクリープのびんを盛ったかごがあるのがおもしろかった。夏でも傷まないという意味ではこれも合理的。コーヒーのお裾分けをもらって帰った。
 合理性のおかげで思ったより早く終了となったので,帰りは古典的な居酒屋「銀次」へ寄ることができた。4時に開店して間もなくだったが,カウンターは8割埋まっていた。テレビで高校野球をやっていたが,大騒ぎする客などいなくて,「ホッピーの聖地・横須賀」の重要な一角をなす店の静かな時間が過ぎた。(→参照;なお,銀次の夏休みは12日~18日だとのこと)

 今日8月10日は,本拠地ウェブページ開設記念日である。開設は前世紀の1997年だから13年になる。13年というと,生まれた子供が中学生になるだけの長い年月だが,この年の身にとってはほんとうにあっという間だった。
 (開設前後のことについては →参照

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Jul 10, 2010

神保町の6月 その2

◇あじさい 2題
 カレー屋「まんてん」のある路地にて1006ajisai1

 
 
 五十神社(千代田通りエーパン脇の道を行って左折)にて1006ajisai2

 
 
◇錦町更科 W杯メニューに
 6月下旬になって,ようやくワールドカップ・メニューになった。(その1 参照)1006sarashina

 
 
 
 

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Jun 19, 2010

神保町の6月

◇博報堂旧本社跡
 旧ビルの北側(写真手前;元は低い建物があった)が,6月上旬,コイン式駐車場になり,日銭を稼いでいる。P6071761
 
 
 
◇駿河台下に団子屋
 5月だったと思うが,駿河台下交差点北西側,小諸そばの隣に団子屋「利一」がオープン。店の大きさの割に看板がでかい。P6041723

 
 
 
 
 
 
◇さくら通りにて
 東洋キネマ跡(→参照)の隣のビルの取り壊しがたけなわ。前は地下に「孤兎」という京料理の店があったビルである。(孤兎は,千代田通りの元トヨタのビルの裏側に移転した。)P6161784

 
 
 
 
 
 
◇錦町更科のだじゃれメニュー
 5月後半は「更科万博パビリオン パクってそばくう」だったが,比較的短く終わり,その後は「冷やしの女房 ゲゲゲのイチロー」となった。
 6月後半にはワールドカップ・メニューになると予想していたのだが,18日現在,「ゲゲゲ」のままである。P6181786

 
 
 
 

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Jun 06, 2010

支店番号 001

 前回の記事の関連で最近知ったトリビアだが,神保町2丁目のさくら通りにある三井住友銀行千代田営業部は,数ある同銀行の支店の中で支店番号「001」を名乗っている。
 通常の支店未満のこんな小さな店がトップナンバー 001 になっているのは,かつて同銀行がわかしお銀行を吸収する際,形式上はわかしお銀行を存続会社として合併したため,わかしお銀行本店があったこの場所が001になったということらしい(もちろん,合併と同時に三井住友銀行に名称変更した。)

 90年ごろ以降の銀行の統合・消長の系譜は複雑をきわめている。以前は,財閥系の銀行が再編されるなどということは想像もつかないことだったのだが。(→参照

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