横須賀

Mar 02, 2008

植え込み通過作戦

 小学校のとき,校門と校舎の間に植え込みがあって,そこは入ってはいけないことになっていた。しかし,そこを通れば近道になる。
 そこでわれわれは一計を案じた。下校するとき,じゃんけんで負けた者が悪者になって,まず1人で植え込みに入っていき,残りが「こら,待て~」といいながら追いかけて,結局全員通ってしまうのである。
 何回かやっているうちに担任の先生に見つかった。ガキの浅知恵に先生は苦笑しつつ,「あしたからダメだぞ」と宣告した。

 ずっと後で知ったことだが,その小学校の校舎は,海軍機関学校の校舎が払い下げられたものだった。植え込みもたぶん海軍時代以来のものだろう。
 海軍機関学校といえば,かつて芥川龍之介や内田百閒が教官をしていたことがある学校だが,その建物はさすがに芥川のころより後のものだったのではないかと思う。

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Sep 23, 2007

シベリウスと横須賀市

 今年はシベリウスの没後50年の記念の年である。音楽の語法は保守的だし,有名な曲は20世紀初頭の曲が多いので,ずいぶん昔の人のような気がするが,長命だったのでまだ50年しかたっていない。

 今年の2月15日,わが故郷・横須賀市は市制100年を迎えた。1907年といえば日露戦争のすぐあとで,軍港の町としての重要性が高まった結果でもあるのだろう。神奈川県では,横浜に続き,2番目の市だった。
 実は,市制50周年のときに,記念のバッジをもらったという記憶がある。50という字を大きく扱ったデザインのバッジだった。――そんな記憶があるということに自ら苦笑しつつ,シベリウスは「まだ50年」かとあらためて思った。(作曲家の没年については →参照

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Aug 20, 2006

7月の横須賀

 先回書いたように,横須賀では7月15日ごろに花火大会があった。花火は,明治時代の埋め立て地の先の海の上から打ち上げられた。今は埋め立て地はその向こうに広がっている。
 この少し前の7月4日,すなわちアメリカの独立記念日には,米海軍基地の花火大会があった。もちろん,「日本側」から見えるところで打ち上げる。

 10日ちょっとの間隔で花火大会があり,同じ丘の上から見るから,どうしても見比べることになる。1960年代の初めごろまでは,子供の目にもはっきりわかるくらい,アメリカの花火は華やかで,景気が良かったのだが,その後いつのまにか「逆転」し,仕掛け花火でフィナーレを飾る「15日」の優位は,高度成長の中で揺るぎないものとなった。
 米軍基地には,ナイター設備のある野球場がある。7月4日の花火は,この野球場の照明2基に明かりがつくのが終了の合図だった。

 7月25日前後には,地元の神社の夏祭りがあった。山車を引いたり,子供御輿をかついだりして,町内を歩いた。休憩のときの甘ったるいジュースや,人工着色料いっぱいのかき氷が,ごちそうだった。夜になると,東京からやってきた芸人が,屋外の仮設舞台で漫才をやったりした。
 あとから考えると,戦後の混乱から立ち直り,ベビーブームで生まれた子供を中心にして,祭りがかなりの規模で行えるようになったころで,大人たちにとっても祭りは楽しい行事だったことだろう。

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Aug 17, 2006

お盆新旧

 ささやかな夏休みは早めにとったので,今週も通常通り出勤している(ブログの方は夏休み状態だが)。14~16日の3日間,電車は空いていて,神保町も人が少なかった。
 神保町の昼食については,必要とする人はもちろんふだんよりずっと少ないが,提供する店はさらに少なく,開いている店ではあちこちで12時半過ぎまで行列ができていた。
 夜の神保町も,それほど広く歩いたわけではないが,閑散としていた。この時期,魚河岸も青物市場休みだから,やっている店でもいろいろ不自由なこともあろう。飲み屋では,兵六,いちこうが,例年通り2週間休んでいる。

 関東全部かどうかはわからないが,少なくとも東京周辺では,お盆はもともと7月15日とその前後である。私の故郷・横須賀では,昔7月15日にお盆の花火大会が行われていた。一時期,対岸の木更津といっしょに,「東京湾架橋促進花火大会」と銘打っていたこともあった。
 今のように,旧暦のお盆が,ある意味では正月以上の帰省シーズンとなったのは,そう古いことではないような気がする。新盆には提灯を出すといった年中行事としてのお盆はすたれ,企業の夏休みがこの時期に定着した結果なのだろう。

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