横須賀

Dec 28, 2016

火事記――横須賀市立病院 1962

 糸魚川で大火があった。ビル火災は別として,市街地の広い地域の火災は久しぶりで,ニュースで「大火」という言葉が使われるのもこの前はいつだったのか記憶がない。大火があった都市というと酒田,新潟,飯田,函館,八戸などといった名が思い浮かぶが,調べたら酒田(1976)を除いてみな60年以上昔の話で,実はなんとなく聞いたことがあるというだけだった。
 大火でなくても昔の方が火事が多く,私も何度か現場に遭遇した。郷里の横須賀には20年あまり住んでいたが,その間に自宅から徒歩3,4分の範囲で3回火事があった。その中で最大だったのは,1962年3月の横須賀市立病院の火災である。自宅との間には丘があって飛び火の心配はなかったが,町内最大だった建物が焼け落ちるのは恐ろしい光景だった。ちょうど小学校の卒業式を終えた直後に,自分が生まれた病院が焼けたということで,自分史の中でも印象に残る事件となった。
 横須賀市立病院の前身は,旧日本海軍の横須賀海軍病院だった。ということは横須賀市に払い下げられたのは戦後だと思い込んでいたのだが,今回ネット上の資料をあさってみたところそれは誤りで,関東大震災の後のことだったという。明治時代に建てられた建物が大震災で壊れたので,海軍病院は鎮守府近くに移転し,元の場所は横須賀市に移管されて,横須賀市はそこに1931年に市立病院を建てたということらしい。焼けたのは建築の31年後だったことになる。玄関には優美なカーブを描いた車寄せがあって,後から思うとなかなかしゃれた建物だった。
 火災後,病院は再建されず,3年後に横須賀市文化会館が建って,三浦半島随一の演奏会場となった。しかし29年後に,その地位は,オペラハウス仕様の横須賀芸術劇場に譲ることになった。
 私が通っていた小学校の校舎は旧海軍の施設で,米軍基地に接していた。金網の向こうには米海軍の病院があり,ときどき車椅子の人が看護婦さんに押されてその静かな庭を横切ったりしていた。震災後移転して新築された横須賀海軍病院の建物は,現在も米海軍が病院の一部として使用しているというから,私が見ていたのはその建物の裏側だったのかもしれない。後にヘミングウェイの『武器よさらば』を読んだとき,舞台となった病院の風景としてこの米海軍の病院を重ね合わせたりした。

 勤め人生活を終えて,年末だから特に忙しいということもないはずだが,実際には何かと気ぜわしい。ブログの更新もだいぶ間が空いてしまった。この間,暖かい日が多かった。

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May 17, 2016

横須賀の料亭「小松」全焼

 16日夜,某所でテレビのニュースがかかっていて,「かつて海軍大将・山本五十六らも通った老舗料亭が…」と言っているのが聞こえた。あ,小松のことだな,と思って見ると,激しく炎が上がっている画面が目に飛び込んできた。このところ湿度が低かったし,木造の建物はひとたまりもなかったことだろう。
 郷里・横須賀の料亭「小松」は,だれも呼んでくれる人がいなくて入ったことはないが,海軍御用達の高級料亭として,親またはそれ以前の世代から住んでいる者はだれでも一応は知っている。私の実家からは,まっすぐの道はないので歩くと15分ぐらいかかるが,直線距離は500mぐらいしかない。

 下の写真は,2012年9月に通りかかったときに,古い立派な建物がちゃんとがんばっているなということで写したもの。もう1枚は,その真向かいの私立高校の出身選手応援の垂れ幕で,オリンピック後に銀メダルお祝いのメッセージが加わっている。今回調べたら,この学校は女子高だったのが2000年に共学となり,2013年に市内の別の場所に移転したとのこと。

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Mar 17, 2015

よこすがでニタリ雪投げ文明堂

 会社の先輩で,私の故郷・横須賀(よこすか)を「よこすが」と発音する人がいた。しかも東京ことばの人で「が」は正しく鼻濁音になるから,よけいにふがふが間が抜けた発音に聞こえる。ここはぜひスカッとさわやかにお願いしたい。

     * * *

 前にラジオで,「野ばら」の訳詞の冒頭を「わらべはニタリ」だと思っていたという話をしている人がいた。薔薇を見てニタリというのも妖しい雰囲気だ。

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 山形県北部出身のある女性によると,同地では雪下ろしのことを「雪投げ」というのだそうで,知らないと雪合戦のことかと思ってしまう。正月に帰省したときは,たくさん投げてくたびれたとか。

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 数年前に行った葬儀の会場は,「子どもの国プラザ」というなんだか楽しそうな名前だった。

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 先日,文明堂のお菓子を手にする機会があり,包装紙を見たら,問い合わせ先電話番号が 0120-xxxx-0002,つまり今も「電話は2番」なのだった。
 これはフリーダイヤルなので新しい番号だが,ネットで見たら,例えば文明堂東京本社の通常回線の電話は -0002 で,これは昔の「2番」を受け継いだものなのだろう。

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Dec 14, 2014

選挙今昔

 午前中の用事をひとつすませていったん帰宅し,午後,日がかげって気温は7度と寒くなったが,選挙に出かけた。投票所となっている区の施設を出たところで,明るい雰囲気の若い男に呼び止められた――「NHKの出口調査なんですが」 出口調査が行われるようになったのはそれほど昔のことではないとはいっても,それから十何回か選挙をしていると思うが,出口調査のお声がかかったのは初めてで,思わず「あ,初めて出会った」と口走ってしまった。
 ボードの上のアンケート用紙に,年代,投票した候補者(小選挙区),投票した政党(比例区),支持政党などの選択肢があって,丸をつける。なにも正直に書く必要はないよな,という考えが一瞬頭をよぎったが,結局正直に記入して,ものの10秒で終わった。
 となると,開票速報はNHKを見るか,という気になってきた。

 今は開票はどこも即日開票で,夜半過ぎには大勢が判明するが,昔は大都市圏は翌日開票だった。1980年の「ハプニング解散」に伴う衆参ダブル選挙のときなどは,翌月曜日に有給休暇を取った。そのときは,衆議院の開票が優先され,参議院は月曜夕方になっても結果が出なかったと思う。

 子供のころには,故郷・横須賀の商店街の建物の壁に開票結果の表示板が作られていた。運動会の点数表示のように,1桁ずつ数字を入れるようになっていた。中選挙区制のころで,横須賀は神奈川2区だった(1区が横浜市,2区が横浜を間にはさんだ横須賀と川崎,残りの西半分が3区という区割り)。2区の自民党はいつも小泉純也氏,つまり小泉純一郎元首相の父上だった。息子のような政治力はなくて大臣のポストになかなかありつけず,晩年にようやく防衛庁長官になった。

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Jul 15, 2013

豆腐と薬味

 このところ毎日のように冷や奴を食べている。近所のスーパーで買える豆腐は1丁59円から399円までいろいろあるが,通常は119円,ときどき199円の木綿ごしを愛用している。1人で1丁食べてしまうこともあるが,飲んで帰ったときなどは1丁は多いので,つきあう者がいなければ半丁ずつ2日で食べることになる。
 薬味は,長ねぎ,みょうが,大葉,生姜,削り節の5点セットをなるべくそろえるようにしている。生姜はチューブ入り,削り節は小袋に入ったもので済ませているので簡単だが,問題は大葉(青じそ)で,乾きもせず湿りもせず新鮮な状態で何日か保存するのが難しい。

 郷里・横須賀の居酒屋では,「三冷」(ホッピーと焼酎とグラスを冷やしておき,氷を入れない)のホッピーと湯豆腐を看板にしているところが何軒かある。そのひとつ,ときどきわざわざ出かける名店「銀次」では,湯豆腐・冷や奴はずっと1丁単位だったが,数年前に半丁でも出すようになった。見ていると,夏でも湯豆腐を注文する人がけっこう多い。
 横須賀の湯豆腐は,辛子を塗って出される。最初は変な感じがしたが,おでんでは辛子を使うのが普通だということを思えばこれもあって不思議はない。薬味はネギと鰹節で,入り口近い場所にいる店員さんは,少しでも時間ができると鰹節を箱型の削り器で削っている。これを見ていると鰹節削り器を買おうかなと思う。

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Apr 07, 2013

春の記 2013 Ranger & Rangers

 3月29日,北朝鮮から,ミサイルで攻撃可能な都市として故郷「横須賀」がご指名をいただいた。
 なにしろ米軍基地とは金網を挟んですぐ隣にある小学校だったこともあり,米軍基地の存在は常に意識されていて,冷戦の相手のソ連がアメリカを攻撃しようとすれば,まず横須賀が狙われるというのが子供にとっても「常識」だった。それから半世紀以上過ぎて,別の攻撃者候補が現れるとは。
 金網の向こうは米海軍の病院だった。ふだんは周囲は人通りも少なく,ときどき車いすに乗った人が看護婦さんに押されて通ったりした。後にヘミングウェイの『武器よさらば』を読んだとき,舞台となった病院の風景としてこの米海軍病院を重ね合わせたりした。

 4月3日の昼前,歯科医院の待合室でケータイを見ていたら,レンジャーズの第2戦でダルビッシュが先発し,「パーフェクト続行中」というニュースが目に入った。その時点で6回まで一人のランナーも出していないという。
 まもなく診療室に入ったところ,ラジオが流れていて,DJが「いやあ,大リーグがたいへんなことになっています」などと言っている。しかし続報がない,または聞こえないまま終わり,職場に戻ってケータイを見たときは,「あと1人で完全試合を逃す」という見出しが躍っていた。うーん,なんとも惜しい。
 上で横須賀のことを書き,次いでレンジャーズと書いて,昔米軍基地に空母レンジャー号を見学に行ったことを思い出した。原子力以前の大型空母である。

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Aug 09, 2012

横須賀からロンドンへ――オリンピック点描 その2

 先日郷里の横須賀へ行ったら,駅前に「横須賀からロンドンへ オリンピック選手に熱い声援を!」という横断幕が出ていた。名前が挙がっていたのは,男女のセーリングの5名と,サッカーの近賀ゆかり・矢野喬子・大野忍・斎藤学である。横須賀になんらかの縁がある人ということのようで,近賀・矢野はクラブチーム「横須賀シーガルズ」と市内の私立高校の出身,斎藤は横須賀にもある横浜Fマリノスのユースの出身だとのこと。
 (北京大会のときの横断幕については→参照Aap8037040


 サッカーの準決勝は男女とも1時開始だった。男子のとき,11時ごろから少し寝ようと思ったら,女子バレーが中国とすごい試合をしていて寝られなくなってしまった。
 女子サッカーの決勝はいよいよ明日未明である。準決勝と違って3時45分開始なので,これはもう早く寝て3時半に起きるしかない。

 そうだ,レスリングがあった。水泳,体操,サッカーなどにばかり注目していて忘れていたが,レスリング(男子)はかつて日本のお家芸で,近年は金メダルからは遠ざかっているが,ヘルシンキ(1952)以降「すべての大会でメダル」という記録は,今回のロンドンまでかろうじて続いている。
 東京オリンピックの16個の金メダルのうち,レスリングは体操と並んで最多の5個(ほかに銀1個)を数えたし,ロサンゼルス(1984)では金2個,銀5個,銅2個という量産ぶりだった。女子が正式種目になったのはごく最近のアテネ(2004年)からだが,こちらは毎回複数の金メダルをとっていて,女子がお家芸を継いでいる感がある。

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Jul 10, 2012

火薬庫爆発事件――デルフトと横須賀

 いま,上野にフェルメールの絵が2点来ている。そのうちのすいている方,ベルリン国立美術館展(西洋美術館)に先日行った。ベルリン国立美術館というのは,そういう1つの美術館があるわけではなく,15の館の総称だとのこと(→ご挨拶)。
 フェルメールは「真珠の首飾りの少女」。他の多くの絵と同じように,室内に左側の窓からやわらかい光が入っている。

 フェルメールのころのデルフトというと,この絵が描かれる8年前,1654年の火薬庫爆発事故の話がよく出てくる。町の4分の1が破壊されたという。
 これと比べるべくもないが,私の小学校のころ,郷里・横須賀でも火薬庫爆発事件があった。ネット上の資料によると,1960年5月7日早朝のことで,横須賀市坂本町の銃砲店の火薬庫が爆発したのだった。「早朝」とあるが,子供の感覚では夜中だったような気がする。私の家は爆発現場から直線距離で1.6kmほどのところだったが,爆発音と家がびりびり震動する音で目をさました。何日か後で現場近くに行ってみたが,まわりじゅうの家の窓ガラスが割れていた。建物の全半壊170戸,窓ガラス等の破損は2800戸に及んだという。
 デルフトと違って,この爆発は事故ではなく,この火薬庫の管理人の放火自殺によるものとわかったのは,だいぶ後のことだった。ネット上の資料にはなかったが,この管理人は山本という名だったと思う。当時の担任の先生の実家は歯医者で,歯形から身元を特定するために警察がやってきたという話を聞いた。

 この事件の9日後に「雅樹ちゃん誘拐事件」が起きた。慶応幼稚舎に通う小学生の営利誘拐・殺人事件である。2か月後につかまった容疑者の名は本山,元歯医者で,坂本の火薬庫爆発との妙な縁を感じずにはいられなかった。

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Jun 24, 2011

雨の季節に

 元来男女による事情の違いはないはずだが,実際には男性はあまり使わず,女性はよく使うものに,レインコートがある。放射能のことがなくても,一滴の雨を蛇蝎のごとく忌み嫌い,梅雨時の蒸し暑いときでもレインコートを着る女性はけっこう多い。
 子供のころは,いかにもビニールという感じのレインコートを,男の子もよく着ていたような気がする。大人の男はどうだったのだろう。私は大人になってからは,山で降られてポンチョをかぶった以外,レインコートの類を着た覚えがない。
 先日,郷里の横須賀へ行ったら,自衛隊関係の学校の生徒が濃いグレーのお揃いのレインコートを着ていた。彼らは休日の外出時も制服であり,レインコートにも制服がある。レインコート姿の男の集団を久しぶりに見た。

 使用率の男女差がもっと大きいのは日傘である。ときどき,曇ってまったく太陽が見えないのに日傘をさしているおばさまも見かける。

 自宅で,屋外に置いてある自転車のカバーの荷台部分に雨水がたまるので,だいたいの雨量がわかる。22日に突然真夏日となるまでは,ここに毎日のように雨水がたまっていた。今年は梅雨入りも早かったし,梅雨の神様はかなり勤勉である。

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Apr 23, 2011

火主水従のころ

 小学校のころ,というのは50年以上前だが,日本の発電は「水主火従」であるが,近い将来「火主水従」になる見込みと教わった。当時はたしか,水力が7,火力が3ぐらいだったと思う。
 故郷・横須賀でも久里浜で火力発電所の建設が始まり,それが年々増えて,完成時には当時世界最大の発電所となった。千葉の金谷港から東京湾フェリーに乗ると,久里浜が近づくにつれ,火力発電所の威容がよくわかる。
 しかし,その後,「水」と「火」の間に「原子」が割って入って話が複雑になり,「主」だの「従」だのという言い方はしなくなった。今までよく知らなかったが,横須賀火力発電所は2010年4月までにすべて「長期計画停止」になったとのこと。
 それが,このたびの電力不足対策のひとつとして,一部の運転を再開するという。郷土の生んだ往年の名選手の現役復帰を歓迎したい。

 話は飛ぶが,私のひげ剃りは長年「電主手従」だった。「手」は Schickの手動カミソリで,あごの骨の付け根のあたりなど,どうしても電気カミソリでは剃れない部分があって,そこだけ Schickを使っていた。
 それが,今年の1月に電気カミソリを十数年ぶりで買い換えたところ,ほぼ問題なく電気ですべて剃れるようになった。Schickの肌触りへのなつかしさはあるが,実際上「電全手0」となった。

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