昔の旅

Mar 30, 2008

夜行の時代

 3月14日限りで東海道本線を走る寝台急行「銀河」が廃止になった。昨年(2007年)1月,大阪発の新幹線「のぞみ」の最終に乗り遅れて,予定外の上り「銀河」乗車となったのだが,これが「銀河」への最後の乗車になった(→参照)。「銀河」の下りには2回乗ったことがあったが,上りに乗ったのはこれが最初で最後となった。

 高校生のころ,年上の従兄弟に連れられて,初めて関西へ出かけた。このときは客車急行の夜行に乗った。ボックス席を従兄弟と2人で使って,一応横になることができた。当時,東海道新幹線はすでに開通していたが,在来線にも優等列車が多数走っていたし,夜行もあって,特に若者は在来線に乗る方が普通だった。
 その2年後の東北への修学旅行も,夜,上野駅に集合し,夜行の座席車で出かけた。朝の平泉の陽光がまぶしかった。
 その後,東海道ではさすがに新幹線が普通になったが,他の線区では,遠くへ出かけるときは,少なくとも片道は夜行に乗ることが多かった。

| | Comments (0) | TrackBack (1)

Jul 14, 2007

Tempi too urgent――ロンドンで 1975

(ひとつ前の続き)
 ロンドンに着いた翌日,大英博物館やテイトギャラリーを見て,夕方一度ホテルに戻った。

 町でもらった観光案内の新聞によると,夜8時から,ロイヤル・フェスティバルホールでニュー・フィルハーモニア管弦楽団の演奏会があるという。地図を見ると,フェスティバルホールは市の中心部を横切っていった先にある。東京で山手線の反対側へは30分かかるという感覚で考えて行くのに4,50分かかると推定し,1時間半前にホテルを出た。しかし実際は,地下鉄で15分ほどであっけなく着いてしまった。後でパリの町も意外と小さいことを知り,東京のばかでかさをあらためて感じた。

 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団の演奏会は若きムーティ指揮で,ショパンのピアノ協奏曲のたぶん第2番(独奏はペライア)とブルックナーの6番というプログラムだった。ショパンはピアノの音がちょっと汚いのが困りものだったが,よく歌っていた。ブルックナーはすっきりさわやかな軽量級。
 フェスティバルホールはロビーがガラス張りで,テムズ河を見下ろすことができる。休憩の時,ちょうど日没が近くなっていて,夕日がテムズを赤く染めていた。横浜の神奈川県民ホールで海が夕日に染まるのを見ると,このときのフェスティバルホールを思い出す。

 翌朝の新聞に演奏会評が載っていて,見出しは「Tempi too urgent」 そうか,tempo の複数形は tempi なのかと思いつつも,なんだか「天火が過熱した」といっているような感じがしてしまった。

| | Comments (0) | TrackBack (1)

Jul 09, 2007

ミルク・ドレッシング――ロンドンへ 1975

 初めて海外へでかけたのは1975年6月だった。安い航空券を個人でもなんとか買えるようになったころで,友人の知り合いの多少怪しげなブローカーのような人からアエロフロート(ソ連航空)でヨーロッパ往復22万円のチケットを買った。当時の月給の2か月分近い額だが,これでも格安チケットだった。
 成田空港ができる前で,羽田から出発した。飛行機に乗るのも初めてで,窓から佐渡が見えたときは「あ,地図と同じ形だ」と感激した。
 食事では,なぜかやたら固かったけれど一応キャビアが出てきた。ロシア語で表示のある小さな容器に入った白い液体がついていたので,ドレッシングだろうと思って野菜にかけたら,実はコーヒーに入れるミルクだったということがあった。

 当時ソ連の上空を飛んでヨーロッパへ行けるのはアエロフロートだけで,これが所要14時間で最速,他の飛行機はアンカレッジ経由で北極海を飛び,所要16時間だった。(ほかに南回りというのもあり,これは23時間かかった。) ずっとシベリアの上を飛び,モスクワでトランジットがあり,ロンドンのヒースロウ空港に現地時間の夜9時ごろ到着した。日が長い季節で,まだ夕日が落ちていなかった。このとき空港で出会ったのが,ずっと前に書いた「→Man」という掲示である(→参照)。
 空港の案内所で,エアターミナルの近くのホテルを紹介してもらった。十数室のかわいらしいホテルだった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)