クルマ

Nov 09, 2014

種村直樹・徳大寺有恒氏死去

 徳大寺有恒氏が死去した。著書『間違いだらけのクルマ選び』は,最初単発の本だったが,やがて毎年「○年度版」が出るようになった。
 クルマはおもしろいものだと思うが,毎年読むような趣味はなく,自分がクルマを買い換えるときしか買わなかった。でも,著者がほんとうにクルマが好きで,乗って楽しいクルマを紹介したいという思いが伝わってきて,希有の実用書だった。

 徳大寺氏の訃報の隣をふと見たら,種村直樹氏の訃報が載っていて,驚いた。そういえば最近は種村氏の著作に接していなかった。
 種村氏は,毎日新聞の記者として鉄道関係の取材にあたっていたが,やがて物書きとして独立し,レイルウエイ・ライターを名乗る。代表作「気まぐれ列車」のシリーズを初めとして,若者との接触を大事にし,旅の一部の同行者を募集したりすることもあった。
 よく読んだのは1990年代だった。氏の著作はノンフィクションが多数を占めるが,フィクションもあり,読んだ中では『長浜鉄道記念館殺人事件』がおもしろかった。

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May 25, 2014

カーナビの「誤植」

 前の車は10年使った。その10年のうちの7年目ぐらいの時期に,やや簡易版のカーナビを買って自分で取り付けた。4年前に今の車にするときに,初めて最初からカーナビを入れた。カーナビは便利だが,カーナビに頼ってばかりいると,知らなかった道を覚えるということが少なくなり,このあたりで曲がればよさそうだというような感覚が働かなくなるということもある。

 カーナビのデータには,ときどき誤りがある。最初に気づいたのは,自宅近くの一方通行の道で「続いて左です。さらに分岐が続きます」と進入禁止の道へ案内することだった。自宅近くなのでカーナビを当てにしていないからいいが,知らないところだったら危険なこともあるだろう。
 もうひとつは,毎年3月に1,2回行く出身高校への道で,学校の入り口が別の所にあると思っているらしく,直前まで来たところで,ひとつ手前の細い道に案内される。無視して進むと,四角い街区の3辺を回って元に戻る道をあわてて教えてくれる。
 データが正しくても,入り口の位置の問題は大きな施設に行く場合にときどき発生する。ナビ君は「目的地に到着しました。案内を終了します。」と言ってあっさり手を引いてしまうが,おいおい,駐車場の入り口はどこだ,と1周させられることも多い。

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Dec 27, 2012

運転免許証の昔話

 先日,運転免許証の更新手続きをした。軽微な交通違反の年季が明けて,新しい免許証は有効期間5年なので,次の更新の期限はなんと平成30年1月である。
 私のころはすでに学生時代に運転免許を取るのが普通になっていたが,金とヒマのうち主に金がなくて,取らないまま卒業した。三十を過ぎてから,結婚して子供が生まれることになって,あわてて教習所に通い始めた。
 通ったのは,今はもうないが,赤羽駅の北西の荒川の土手下にあった小さな教習所である。平日夕方と休日の教習所通いは1週間以上間隔が空くこともしばしばで効率が悪く,当然時間がかかった。休暇をとって「集中講義の日」にしたりもした。教習コースは狭く,教官は「所内ではサードまで入れてる暇はないから」などと言っていた(まだオートマ限定免許はなかった)。
 かつて自動車学校の教官は,特に男に対しては態度の悪いのも多かった。私の一回り年上のいとこなど,四十近くなって自動車学校に入ったところ,教官に「これ,ハンドルっていうんだぞ。知ってるか」などとからかわれて腹を立て,やめてしまったと聞いた。私のときは,そのへんはだいぶ改善されてきたころで,教官のうちの何人かは今も名前を覚えている。

 休日など,教習の間に空き時間ができることがあって,近くを歩いていたら,囲われた土地でコンクリートの柱を作っていた。看板は「国鉄用地」,東北・上越新幹線と埼京線の工事なのだった。(埼京線開通後,その教習所は北赤羽駅から徒歩5分の好立地になった。)

 教習に時間がかかったが仮免・卒業の検定は一発でパスして,結局,子供の誕生に1週間ほど遅れて修了証を手にした。その2日後,鮫洲の運転免許センターに手続きに出かけた(東陽町のセンターはまだなかった)。当時,京浜急行の鮫洲駅はまだ地上にあり,高架化工事の真っ最中だった。
 手続きを終わって免許証ができるまでの間,昼食に近くの食堂に入ったところ,テレビが報じていたのは「大韓航空の旅客機がサハリン付近で行方不明になった」というニュースだった。後に「大韓航空機撃墜事件」と呼ばれることになるが,昼の時点では,ソ連機に撃墜されたことは判明していなかったのである。

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Dec 24, 2007

中央環状線初乗り

 首都高速中央環状線の熊野町ジャンクション・西新宿ジャンクション間が22日午後開通したので,翌日通行してみた。
 5号線板橋本町から入った。板橋ジャンクションで王子方面からの中央環状線が合流し,あわただしく1kmで熊野町ジャンクションとなり,西新宿への新しい道が右に分岐する。ここは高松出口(21日廃止)への道だったところである。
 透明の壁に囲まれた道を下り,要町交差点手前で地下にもぐり,山手トンネルとなる。ずっと前に聞いたところでは,当初の計画では地下にもぐるのはもっと南の方だったが,要町交差点を南に少し行ったところにあった○進社ビルに本拠を構えていた○核派が周囲の住民を「組織」した結果,地下化が実現したのだという。
 トンネルに入ったら,カーナビが未知の道に困ってしまってぴたりと止まった。「内装」のコンクリートはやや緑色がかっている。途中の西池袋入口は右からの合流,西池袋出口,中野長者橋出口も右への分岐である。

 交通量は少なく,快適だったが,中野長者橋手前でさっそく事故があったため,車線が片方ふさがって少し渋滞していた。
 初台の手前で地上に出てそのまま高架となり,オペラシティを右に見ながら(実際にはほとんど見えないが)カーブして4号線と平行し,やがて合流する。まことにあっけない初乗りだった。

 帰りは一般道を走った。工事のために車線がくねくね曲がり,それがしょっちゅう変更になって走りにくかった山手通りは,少しすっきりしたが,本格的な後始末を終えるまでにはまだしばらくかかりそうだ。

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Dec 08, 2007

ETCカードとカーナビ

 まったくの遅ればせながら,この夏にETCカード車載器とカーナビを車に取り付けた。
 そもそも年に3000キロ足らずしか走らないから,ETCカードによる割引ですぐに「元を取る」のは難しいが,料金所で何もしなくてよいのはまことに快適である。ただ,車を止めてキーを抜くといちいち「カードが残っています」と男性の声で警告されるので,「それはわかっています」と答えたくなる。

 カーナビの方は,女性の声だ。ちょっと逆らって案内と違う道に進むと,必死になって新しいルートを探す姿はなかなかけなげである。時に少し変なルートを案内されることもあるが,概して鉄道の乗り換え案内ソフトより「現実的」な解を示してくれる。
 検索できる施設名にはいろいろムラがあるようで,横浜の「神奈川県民ホール」が検索できず,なぜか「県民ホールチケットセンター」というのがあった。まあこれでも到着できたが。
 普通に右や左に曲がるときはいいのだが,「斜め右」へ行けという場合,実際の交差点で右折扱いなのか,直進の扱いなのかがわからなくて迷うことがある。高速道路では「次の分岐を右へ」などと言われるが,実際には右へ分岐する道はなくて「直進」であることが多い。このへんの表現は一工夫してほしいところだ。

 首都高速中央環状線の熊野町(5号線)から初台(4号線)までが12月22日に開通する。大江戸線の建設工事以来十数年にわたって続いてきた山手通り地下の工事が,やっと一段落することになる。

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