昔話

Jun 20, 2025

追悼ブレンデル氏/1番投手兼DH

 アルフレート・ブレンデル氏が6月17日に逝去したとの報が伝わってきた。享年94歳。
 ブレンデルは,かつて私がCDをよく聞いていたピアニストとしてポリーニと双璧をなす。特に,ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集(1970年代の録音)は,最初LPで買って,後にCD(だいぶ安くなっていた)で買い直した。発売当時,バックハウスやケンプの後の新しい世代の登場を告げるものだったのではないかと思う。ほかに好んで聞いていたのは,シューベルトのソナタの数々と,モーツァルトほかの変奏曲アルバム。
 生演奏は,記憶があいまいだが,リサイタルをたぶん3回のほか,N響との協奏曲を聞いた。記録が残っている最後は,1992年1月のリサイタルで,ハイドンとリスト(ロ短調ソナタほか)からなるプログラムだった。

【オータニッキ2025】
 前のエントリーを書いた翌日の6月15日(JST)のSF戦で,24,25号。
 そしてその翌日,「明日は(投手として)先発する」という発表があった。NHKはBS1で中継の予定だったが,急遽地上波で放送することに。
 17日のSD戦では1番投手兼指名打者。投球は1回1イニングで28球,被安打2,犠牲フライで1失点だった。投球を終えると2分後には打席に立つという久しぶりの光景が見られた。この日はその後,2安打,2打点。
 18,19日はノーヒット,20日は1ヒット。

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May 02, 2025

食パンを冷凍/近ごろ見かけないもの

 食パンは冷凍するのがよい,という勧めはネット上で前から何度も目にしていたが,先日テレビでも同様の勧めがあって,ちょっとやってみる気になった。
 わが家のトースターにはちゃんと「冷凍うすぎりトースト」「冷凍あつぎりトースト」というモードがあり,これを初めて使って,冷凍のまま焼いた。仕上がりは,確かにパンの香りが立って,いい具合。
 問題は,ひとつは冷凍庫のスペースを要すること,もうひとつは,焼くのに5,6分かかること。ソーセージや卵をトースターで焼くこともあるので,トースターを使う順番待ちが長くなる。パンとおかずをトースターで同時に作るアイディアもいろいろなサイトで紹介されているので,探してみたい。

 昔の新聞には,「この記事は一部地域で重複いたします」という断り書きがけっこうよくあった。例えば,飛び込んできたニュースを夕刊の3版に突っ込んだ場合,夕刊の2版までを配達する地域のためには,翌日の朝刊にそのニュースを掲載する必要があるが,夕刊の3版以降が届く地域では朝刊で同じ記事が再び載るのでこの注記が必要になる。
 版による記事の差し替えは今も行われていると思うのだが,この注記はいつの間にか見なくなった。その事情はわからないが,新聞という媒体の地位が相対的に低下して,報道の順序や重複などはだれも気にしなくなったのかなと想像した。

【オータニッキ2025】
 4月30日,対MIA戦で,第7号ソロ。13日ぶり。

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Mar 19, 2025

足元が悪い問題/訃報:いしだあゆみ

 19日朝,外へ出てみたら,みぞれがかなり降っていて靴が滑りそうになった。この日,同居人を車で送る用事があり,まあ凍ることはなさそうだから大丈夫とは思ったが,用心して車を出すのは勘弁してもらった。
 会合の日が雨だった場合,その席で話をする人は,まず最初に「本日は,足元のお悪い中,ご出席いただき…」と言うことが,今でもあるように思う。これは,私の感覚としては,昭和前半期を思わせる表現である。
 私の子供のころ,すなわち昭和30年代前半ぐらいまでは,バスの通るような道以外は未舗装の道がたくさんあり,雨が降るとぬかるみになったので,足元が滑りやすくなるというのは現実的な問題だった。雨の日には大人も子供もよく長靴をはき,ビニールのレインコートを着ていた(→参照)。
 実家の周辺で道路舗装が進んだのは昭和30年前後だった。コンクリート舗装の工事は,道路を半分ずつ塞いで行われ,工事期間中は毎日のように現場を見に行った覚えがある。

 ほぼ同世代の歌手・いしだあゆみの訃報が18日に伝わってきた。11日死去,76歳。私にとっては「ブルー・ライト・ヨコハマ」(中黒(・)が2つ入るのが正式らしい)「あなたならどうする」の歌手だが,俳優としても多くの名作を残した。
 今回初めて知ったのだが,子供のころはフィギュアスケートの選手だったとのこと。
 なお,京浜急行の横浜駅の発車メロディは「ブルー・ライト・ヨコハマ」である。

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Feb 12, 2025

1月・2月の新国立劇場/また訃報

 新国立劇場のオペラは,1月の『さまよえるオランダ人』と,2月の『フィレンツェの悲劇』(ツェムリンスキー)『ジャンニ・スキッキ』のダブルビルを,1週間間隔で見た。
 オランダ人に予定されていたエフゲニー・ニキティンは来日したものの体調不良で降板,カバー歌手が歌った。最初やや不安定だったがやがて調子を上げ,全体としては立派な水準。
 翌週はフィレンツェつながりのダブルビルで,この演出(粟國淳)を見るのは2回目。この2作はもともと悲劇/喜劇,登場人物が少ない/多いという対照をなすが,この演出では舞台装置にも抽象的/具象的という対照がある。ただし単純に両極に分かれているわけではなく,『ジャンニ・スキッキ』の舞台には文房具を中心とする道具が並んでいるのだが,これが人間が入るような大きさで,歌手はそこに出入りしながら歌うし,病床は書物だったりする。おもちゃ箱のような無邪気さはないが,人の欲望が渦巻く舞台としてふさわしいのかも。
 前週オランダ人を歌った歌手が『ジャンニ・スキッキ』にも登場,こちらは元々の役で,喜劇でも好演した。

 また訃報だが,12日の新聞によると,ソプラノのエディット・マティス氏が9日に死去したとのこと,86歳。
 オペラハウスの初の引っ越し公演だった1963年のベルリン・ドイツオペラ日本公演でケルビーノを歌ったときはまだ25歳。当時私は高校生でオペラとの接点はほとんどなく,その美貌は,ずっと後になってモノクロ写真で想像するばかりだった。その後レコードではかなりなじみになったが,同世代のルチア・ポップと違って,結局実演に接する機会はなかった。なお,夫の指揮者ベルンハルト・クレーがN響を振った演奏は,70年代に聞いたことがある。
 同じく12日に新聞にのったのは,三光(さんこう)長治氏の訃報だった。1月30日死去,96歳。主にワグナー関係の(しばしば難解な)文章をプログラム冊子などで読んだ。

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Jan 26, 2025

秋山和慶氏が引退

 長老指揮者の秋山和慶氏(84)が,23日,引退を発表した。今年の元日に自宅で転倒,負傷して入院していたが,今後の指揮活動は困難と判断したという。前から宣言して昨年末引退した井上道義氏とは対照的に,突然の引退となった。
 秋山氏の上演に接した機会はそれほど多くはないが,東京交響楽団との『モーゼとアロン』,『サロメ』(いずれも演奏会形式)が印象に残っている。もっと前,たぶん50年近く前に,ヴァイオリンのヘンリク・シェリングとN響のベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲も聞いたように思うが,かすかな記憶だけで確認ができない。
 同じく昔々の記憶だが,プロの某ヴァイオリニストが秋山氏を表して,「もっともきれいな指揮をする人」と言っていたのも思い出される。
 関係ないけど,同じ日に,中居某も引退を発表した。

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 17日は,阪神淡路大震災から30年の日だった。
 この震災の件は,このブログにも何度か書いたが,一応いちばんまとまっている記事は:→参照

 22日に,長野駅前で無差別殺傷事件があった。死亡した人は,近くのなじみのバーで事件の10分前までいっしょに飲んでいたという。

 愛用している「元1000円床屋」チェーンの店に行ったら,2月から50円値上げして1400円にするという予告が出ていた。「前回」は2023年4月で,1200円が1350円になったのだった。

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Dec 11, 2024

ノーベル賞の季節

 12月10日,ノーベル平和賞の授賞式がオスロで行われた。受賞者「日本被団協」代表の田中氏の受賞スピーチを聞いたが,言葉ははっきり,口調もしっかりで,とても元気な92歳だった(田中氏は,13歳のときに長崎で被爆した)。先月N響を振りにきた94歳の指揮者ブロムシュテットを思わせる矍鑠ぶりである。
 平和賞のみノルウェーが主宰するのは,ノーベルの遺言により,ノルウェーの委員会が選考にあたるためだとのこと。

 半世紀以上昔のことだが,生まれた日の新聞のコピー(マイクロフィルムからのコピー)を売る商売を,書店の店先などでやっていた(もちろん誕生日以外の日も買えたのだろう)。そこで手に入れた私の誕生日の新聞のトップ記事は,湯川秀樹博士がノーベル賞授賞式出席のためにストックホルムに着いたというものだった。当時の飛行機は南回りで,ヨーロッパまで50時間以上かかったはずである。
 1面の下の方には,10月に発足した中華人民共和国の動きが載っていた。

 とういうことで,ノーベル賞の季節を迎え,私,先日,後期高齢者の仲間入りをしました。

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Oct 18, 2024

50年前の平和賞――ロンドンで聞いた訃報

 10月11日,今年のノーベル平和賞を「被団協」に授賞するという発表があった。日本人の平和賞は,ちょうど50年前,1974年の佐藤栄作元首相以来である。
 佐藤元首相受賞のとき,佐藤氏といえば70年安保のときの首相で,軍拡志向の人だと思っていたので,平和賞と聞いて本当に驚いた。悪い冗談ではないかとも思った。
 佐藤氏の名は,その翌年,別の意味で印象深いものになった。1975年6月に,私は図々しく少し長い休暇を取って,初めて海外へ出かけた。最初に降り立ったロンドンでは,中心部から少し南に寄ったところにある小さなホテルに泊まった。ベッドの枕元にラジオがあり,そのスイッチは OFF,BBC1,BBC2 の3つのモードしかないシンプルなものだった。で,BBC1をつけてみたところニュースをやっていて,初めは何についてのニュースかもわからないニュースが続いたが,しばらくすると Eisaku Sato という言葉が耳に飛び込んできた。どうやら,ノーベル平和賞受賞者のサトウが死去した,と言っているようだった。これも,ノーベル賞受賞者だったからこそ速報されたのだろう。
(このときのロンドンの空港でのことについては →参照

 ところで,「被団協」というのは少しおもしろい略称だ。正式名称は「日本原水爆被害者団体協議会」で,略称を作るとすれば,日本語の文脈ではなるほど「日本」はまず不要ということになるだろうが,「原水爆」が略称から落ちているために肝心な物がなくなるという結果になっている。
 意味からいうといらなそうに見えるのは「団」だが,個人でなく都道府県の団体の協議会という会の成り立ちからしてはずせないということなのだろうか。

 米大リーグ・ドジャースは12日(日本時間)のパドレス戦に買ってリーグ優勝決定シリーズに進出した。こんどの相手はニューヨーク・メッツ,北米の東と西,時差3時間の対決である。大谷翔平は,14日は2安打1打点を挙げたが,15日はノーヒット。東へ移動したあとの17日は3ランを打ち,ポストシーズン2本目,ドジャースは2勝1敗。

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Oct 11, 2024

10月10日――東京オリンピックから60年

 今年の10月10日は,1964年の東京オリンピックの開会式からちょうど60年の日だった。私は当時中学生で,白黒テレビにかじりついて見たオリンピックの印象は鮮烈だから,東京オリンピックといえばまず「前回」の1964年の方である。
 開会式の10月10日は土曜日だった。土曜日は普通は部活(私は吹奏楽)があるが,この日は休止になり,帰宅してテレビを見たのだったのだと思う。当日はどんよりと曇っていたが,開会式が始まるころには奇跡的に青空になり,天がオリンピックを祝福しているとさえ思われた。
 開会式の入場行進は,今と違って堅苦しく整然たるものだったが,なにしろ学校の運動会だって行進曲で入退場していた時代なので,そういうものだと思って見ていた。音楽は,最初と最後が古関祐而「オリンピック・マーチ」で,間に当時の各国のマーチのスタンダード・ナンバーが配されていた。あとで聞いたことだが,すべてがナチスの宣伝となった1936年のベルリン・オリンピックでは,最初から最後までタイケ「旧友」1曲で押し通したとのこと。なお,「オリンピック・マーチ」は,この翌年,自分たちで演奏することになる(参照:→「新しい」行進曲)。
 開会式の行われた10月10日は,1966年から「体育の日」として国民の祝日になった。しかし,2000年から10月の第2月曜日となって「東京オリンピック記念日」という意味はかすかなものになった。その後,2020年からは名称が「スポーツの日」に変更された。

 大谷翔平は,引き続きSDとの地区シリーズに出場,7日はダルビッシュに完璧に抑えられた。チームは敗戦。8日はヒットを1本打ったが,敗戦。10日は適時打で1打点,チームは大勝,2勝2敗となって12日に最終戦を迎える。

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Oct 06, 2024

9月30日から10月1日へ

 9月30日,山藤章二氏が死去したという。享年87歳。けっこう長いこと『週刊朝日』を読んでいたので,最後のページの山藤氏のイラストは親しい存在だった。朝日新聞の訃報には,氏による石破茂新首相の似顔絵(2002年)が添えられていた。

 同じ30日,議会から不信任決議を突きつけられた某県のトンデモ知事が失職した。しかし,責任をとって辞職したわけではなく,出直し選挙が行われるわけで,そこで対立候補が乱立して票を食い合うと,前知事を利するということになりかねない。
 組織の下の者の自死をきっかけに,次々と問題が明らかになったこの件は,ちょうど1年前に起きた同じ兵庫県の某団体の件を思い出させてしまう。こちらもきちんとした再出発はできていない。

 かくて年度前半があわただしく過ぎ去り,翌日は10月1日で,昔風に言えば衣替えの日を迎えた。
 この日,郵便料金の値上げが実施された。定形郵便は84円→110円,はがきは64円→85円となった。前の値上げ(30年前)の後,82円の切手に貼り足すための2円切手などを用意していたのだが,まだだいぶ残っている。
 私の世代だと,子供のころは「はがきは5円,封書は10円」と決まっていた。算数の問題にも郵便料金はよく登場していた。

 大谷翔平は,6日,ポストシーズン初登場。地区シリーズの対SD第1戦で,3ランホームランを打った。




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Sep 11, 2024

ブルックナー生誕200年

 遅ればせながら,9月4日はブルックナー生誕200年の記念の日だった。
 ブルックナーを私が意識的に聞くようになったのは社会人になった1973年以降だった。70年代半ばまでNHK交響楽団の定期会員だったこともあり,その時代の記憶に残る名演としては,サヴァリッシュ指揮N響の5番がある(1973年6月)。第4楽章の金管のコラールでは,荘厳な響きに思わず居住まいを正した。
 N響の定期公演の会場はこの年秋に新築のNHKホールに移転するので,東京文化会館での最後のシリーズの演奏会だった。

 アマチュア・オケがブルックナーを演奏するようになったのも70年代以降だった。
 1971年ぐらいだったと思うが,大学のオーケストラ連盟の合同演奏会で,ブルックナーの4番が演奏されたことがあった。大部分のメンバーはブルックナーを演奏するのが初めてだった。練習のとき,金管の咆哮が終わると弦を中心にした静かな場面になってほっとするはずのところ,わけのわからない響きになってほっとできなかったりもした。
 私が卒業後所属していたオーケストラでは,1981年に初めて7番を演奏して以降,4番,8番,9番,テ・デウムがプログラムに登場した。ワグナーチューバ(ホルン奏者が持ち替えで奏する)4本を要する7~9番を全部やったオケはそう多くないだろう。
 なお,ブルックナーのオーケストラは,6番まではベートーヴェンとほぼ同じ規模で,2管編成(ホルンは4本)にトロンボーン3本,曲によりチューバが加わったものである。

 先日,テレビでサヴァリッシュ=N響の1982年のブルックナー8番の放映があった。上記の5番を思い出させる熱演だったが,今の日本のオーケストラだったらもっと余裕を持って力まずに演奏するだろうと思ってしまった。

【訃報】
セルジオ・メンデス 9/5 83歳
  ボサノバの名曲「マシュ・ケ・ナダ」は1966年,24歳のときだった。
宇能鴻一郎 8/28 90歳
  あたし,……なんです。[改行]
  という文体をマネして,頻繁な改行で原稿料を稼ごうとする人もいた。

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 大谷翔平は,4日エンゼルスとの試合(インターリーグ)で,ドジャース移籍後初めてエンゼルスタジアムに登場,エンゼルス・ファンからもスタンディングオーベーションで歓迎された。
 7日,対CLE戦で45号,9日同じく対CLE戦で46号。
 10日,対CHC戦では2安打,1盗塁(計47)。

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