音楽

Jun 09, 2026

平土間にて――ヨハン・シュトラウス一家の音楽

 6月の某日曜日,ヨハン・シュトラウス一家を中心とするウィーン音楽を演奏するために結成されたアマチュアの室内オーケストラの演奏会に出演した。
 前に書いたとおり,オーケストラ活動は一昨年秋で卒業したつもりだったのだが,この4月,学生時代の同学年の友人から四半世紀ぶりにメールが来て依頼され,賛助出演した。後期高齢者にもなって声がかかるというのは,光栄なことではあるが,なにぶん演奏した9曲のうち7曲が初めて吹く曲で,練習中は,通りすぎてから,ああそういうことかと遅れて理解するという場面もあった。
 本番の会場は,平土間に椅子を並べた広間で,お客さんはリラックスした雰囲気。指揮者はウィーン音楽を専門にしている人で,自在にテンポを揺れ動かし,もちろん細かくはいろいろなことがあったが,演奏する方もお客さんもワルツのリズムに乗せられていった。
 本番から数日間,シュトラウスの音楽が,頭の中で寄せては返すように鳴っている。

 このブログ更新の間隔がまた空いてしまって,もう2週間以上前のことになったが,5月24日の競馬「オークス」で,今村聖奈騎手が1着になり,女性騎手初のG1制覇となった。これは快挙。
 馬と馬主,調教師,騎手の関係にはいろいろなケースがあるのだろうが,騎手に実力があったとしても,良い馬に巡り会えるとは限らないし,まして重賞レースに出る機会などめったに得られない。勝利者は,千載一遇の機会をものにする力と運の持ち主なのだろう。

 5月21日,作詞家の橋本淳氏が死去,86歳。私が高校生だった1960年代後半,グループサウンズの時代を牽引した。当時,作詞家の名前など気にとめることはなかったが,この人の名は記憶にかすかに残っている。橋本淳というのは筆名で,本名は与田,児童文学者の与田凖一の息子だというのは,今回の訃報で初めて知った。

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May 21, 2026

大野雄二氏と「小さな旅」/サントリーホールP席で合唱

 5月4日,作曲家の大野雄二氏が死去した。享年84歳。今まで知らなかったが,「元ジャズ・ミュージシャン」と紹介している媒体もあった。
 大野氏の作品で,一般にもっともよく知られているのは「ルパン三世のテーマ」だろう。しかし,オーボエ関係者にとって重要なのは,NHKテレビの「小さな旅」のテーマ音楽である。「郷愁の楽器」イングリッシュ・ホルン(コーラングレ;オーボエ奏者が兼任で演奏する)のソロが,耳に残る自然短音階の旋律を奏でる。プロのオーボエ奏者の知人は,イングリッシュ・ホルンの楽器紹介をするとき,よくこれを演奏すると言っていた。

 4月某日,所属の合唱団の一員として,独唱2人とオーケストラの演奏会に出演した。会場はサントリーホール。このホールのステージに立つのは初めてだった。いや,Pブロックの客席(ステージ後ろ,オルガンの下)で歌ったので,厳密にはステージに立ってはいないが。
 リハーサルでP席に立ってみると,上手端の位置だったので,指揮者をかなり斜めに見ることになり,しかもかなり遠い。初めての角度で指揮者を見ながら,客席(でもある所)で歌うというのはなんとも不思議な感覚だった。リハーサルが始まっても,周囲の音が聞こえにくかった。
 コンサート専用のホールだから,合唱つきの曲を演奏する場合は,当然こういう形になる。楽屋も,演奏者250人というような状況は想定されていないということなのか,楽屋以外のいろいろな場所も使ってやりくりしていて,ステージに行くときに回り道をしてしまったこともあった。

 前回記事との間隔が1週間以上空いてしまっている間に,大相撲五月場所は,11日目を終え,大関・霧島,平幕・琴栄峰,翔猿が9章2敗で先頭で並んでいる。

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May 04, 2026

1年8か月ぶりの本番/木村俊光氏/ハナの差

 一昨年秋に「卒業」したはずのオーケストラ(→参照)から依頼があって,先日,演奏会に出演した。この間,合唱の本番は何回かあったが,楽器(オーボエ)での本番は1年8か月ぶりだった。
 今年2月に,欠席者の代わりとして2回ほど練習に参加したのだが,その後結局,本番も吹いてくれという話になった。実はオーボエは,今回の曲目の場合,人数としては足りているのだが,目立つ曲,体力を要する曲を吹くメンバーはその曲だけに集中したいということのようで,私の出番は短い曲1曲だけだが,出演した次第。
 プロのオーケストラの管楽器の場合は,1回の演奏会では一人の首席奏者がすべての曲で1番(第1オーボエなど)を吹くのが原則なのに対し,アマチュア・オケでは,もちろん各オケの事情によるが,交代で1番を吹くことが多い。

 4月26日の新聞に,バリトンの木村俊光氏の訃報が出た。17日死去,享年81歳。私がオペラをよく見るようになった1970年代半ばから1980年代の二期会オペラを牽引する存在だった。ザックス(マイスタージンガー),ドン・ピッツァロ(フィデリオ),テルラムント(ローエングリン),ヴォータン(ワルキューレ)などの役は,いずれも初めて生で見たのは木村氏によるものである。

 3日の競馬,春の天皇賞の生中継を,たまたまテレビで見た。1,2着はほとんど差がなく,長い写真判定となった。結局,1着は⑦クロワデュノール,2着は⑮ヴェルテンベルク。発表ではハナの差となっていたが,写真を見てもどちらが1着かまったくわからない。「三苫の1ミリ」ほどではないにしても,実質1センチぐらいの差ではないだろうか。
 クロワデュノールは1番人気で,単勝の配当は180円,枠連の4-8は9番人気で2530円。

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Mar 29, 2026

新宿《復活》の記

 3月22日(日)午後,新宿区が組織した「新宿文化センター合唱団」の一員として,マーラー:交響曲第2番《復活》の演奏に,同居人ともども参加した。指揮はアンドレア・バッティストーニ,オケは東京フィルハーモニー交響楽団で,新宿区と東フィルで毎年やっている合唱付の曲のシリーズだが,文化センターの改修で中断していて,今回は3年ぶりの開催だった。同居人は10年ぐらい前からこのシリーズに参加しているが,合唱歴1年余りの私は初参加だった。
 この曲については,70年代前半に発売されたズビン・メータ指揮ウィーン・フィルのLPレコード(!)が印象深い。年末に買ってきて,三が日に毎晩聴いた。生演奏を聴いたのは50数年でたぶん3回,いずれも祝典的な機会での演奏ということになる。そのうち1回は1987年1月のジュゼッペ・シノーポリ指揮のフィルハーモニア管弦楽団の演奏で,サントリー・ホールの開場記念公演のひとつだった。
 本番は,最初から「板付き」で,合唱は固い木のベンチに座ること1時間,腰が痛くなったが,プロオケの演奏を真後ろから見ることができたのは貴重な経験だった。第4楽章のメゾソプラノ・ソロ(スカラ座のチェネレントラ,脇園彩さん!)を聞き,第5楽章がかなり進んで,ようやく出番となる。最初は無伴奏のピアニッシッシモで緊張させられるところだが,合唱練習で,ある程度響きを伴う声を出すよう指示されたこともあって,なんとか平常心でスタートできた。合唱の第1部分はずっとピアニッシモ以下なので座って歌い,それが終わってから立ち上がった。歌う時間は合計10分足らず。
 この日チケットは完売で,客席の熱気はステージにも伝わってきた。今回この演奏会だけのために来日したマエストロ・バッティストーニの明快な指揮も,曲の盛り上がりと共にますます熱を帯びた。長年の間に(アマチュア・オーケストラなどで)数多くの本番を経験してきたが,今回の拍手はこれまででもっとも盛大なものだった。

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Jan 09, 2026

2025 合唱記

 年末に,ある集まりで,各人にとっての「今年の漢字」を書いてみようということになり,私は迷わず「」という字を書いた。2025年は,実質的に合唱事始めの年だった。
 
 当ブログに,2024年9月,所属していたオーケストラを卒業したことを書き(→参照),12月には,ベートーヴェン「第9」の合唱に参加したことを書いた(→参照)。第9のところで書いたように,私は長くオーケストラでオーボエを吹いてきたが,合唱はこの第9がほとんど唯一の経験だった。
 で,その後だが,昨年3月,多少の検討と迷いを経て,老舗の某合唱団に,なんと同居人と2人で入団してしまった。以来,かなり熱心に練習に通い,8月の合宿にも参加したりして,本番は11月初め,ブラームスの『ネーニエ』『ドイツ・レクイエム』を歌った。
 このうち,『ドイツ・レクイエム』は私は30年ほど前に所属していたオーケストラで演奏したことがあり,思い出のある曲だった。もうひとつの『ネーニエ』は,これまでタイトルしか知らず,今回歌うことになってあわててCDを聞いてみて驚いた。その前奏は,楽譜にして6段ほどあるが,その全部がオーボエのソロなのだった。ブラームスのオーボエのソロというとヴァイオリン協奏曲の第2楽章が有名だが,『ネーニエ』のソロはこれに匹敵する。
 
 上記の合唱団の次の演奏会は今年9月だが,その前に2つ予定がある。1つは,出身高校の音楽の先生の追悼演奏として,関係者でモーツァルトのレクイエムを歌うもので,本番がもう間近に迫っている。もう1つは,マーラーの交響曲第2番《復活》の合唱である。
 モーツァルトのレクイエムは,私がオーケストラでこれまで演奏できなかった曲である。なぜなら,この曲には,昔のオーケストラでもっともよく使われているオーボエとホルンが使われていないから。

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Dec 25, 2025

年賀状の準備中に

 特に多忙だとか体調が悪いということはなかったにもかかわらず,当ブログの更新が10日以上もできなかった。その原因というわけではないが,この間のできごとで衝撃だったのは,友人Aの奥さんKさんの急逝である。ちょうど年賀状の準備をしているときのことだった。
 Aからのメールによると,今月上旬の朝,別の部屋で寝ていたKさんが倒れているのを発見,救急搬送したが,意識が戻らないまま5日後に亡くなったという。
 Aは大学の同期生だから55年を超えるつきあいだが,奥さんの方も彼らが結婚する前から知っているから,もう50年近くになる。2人は,私が去年秋まで属していたオーケストラ(→参照)のメンバーだった。Kさんは,倒れる前の週の練習にも,元気に参加していたという。同世代の友人が配偶者を失うのを見るのははつらい。
 元気だったのに突然,というのはだれにも起こりうることで,しかもその可能性は年齢と共に大きく上がっているはず,というのは,頭ではわかっていることだが,対処のしようもない。せいぜい,年甲斐もなく急に走り出したりしないとか,飲んだら風呂に入らない(→参照)といった注意をする程度である。
 私の父は五十代半ばで突然倒れて3日後に死去した。私は今,父より20年以上長く生きている。

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Dec 07, 2025

再会ルロイ・アンダーソン

 昔は,ルロイ・アンダーソン(Leroy Anderson)の曲は,意識しなくても耳に入ってくる存在だったが,いつのころからかあまり聞かなくなってしまった。と思っていたら,先日のNHKTVの「クラシックTV」で,アンダーソンの特集をやっていた。
 アンダーソンは,私の世代にとっては,特に1960~70年代にはかなり親しい作曲家で,私は,最初は高校の吹奏楽で「ブルータンゴ」(愛称「あおタン」)「シンコペイテッド・クロック」を演奏した。この2曲などはこのころすでに「聞いたことのある曲」だった。その後,オーケストラで「舞踏会の美女」「ワルツィング・キャット」「タイプライター」「そりすべり」「トランペット吹きの休日」「トランペット吹きの子守歌」などを演奏したことがある。
 このうち,最後の2曲の曲名は共に「トランペット吹きの…」と訳されているが,前者は Bugler's Holiday,後者は Trumpeter's Lullaby である。
 このたびの特集でちょっと驚いたのは,アンダーソンの死去は1975年,つまり私の世代がよく演奏していた時,作曲者は存命だったということだった。
 
 年賀状の季節は喪中はがきの到来で始まるのが通例だが,今年は11月下旬になっても1通も来なかった。自分がすでに後期高齢者になっているので,「上の世代」はもうほとんど残っていないということかと思うが,このところいろいろな世代の訃報もよく届いていたので,何も来ないのもなんだか落ち着かない。
 といっているうちに,12月になってから2通来た。
 今年1月に届いた年賀状を見ながら,あて先リストを点検した。喪中は少なくても,年賀状仕舞いをする人がけっこういて,差し出す数はまた減ることになる。
 
 帯状疱疹は,発症5週間の診察で一応無罪放免となった(塗り薬のみもう少し継続)。アルコールとコーヒー方面は少しずつ復帰中。

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Oct 24, 2025

あびロード/6回無失点・3連発/身代金/ショパン卓球

 先週,大相撲のロンドン公演が,ロイヤル・アルバート・ホールで行われた。「場所」でも「巡業」でも「興業」でもなく,「公演」と称している。5日間の取組で,最後は全勝の横綱同士が戦って豊昇龍が優勝した。
 公演の前にはけっこう市内観光の時間があったらしく,中でもおもしろかったのは,阿炎(あび)がAbbey Roadの横断歩道でビートルズのLPジャケットをまねた写真を撮ったこと。

 並行して進んでいた米大リーグのナリーグ優勝決定シリーズ(LCS)の第4戦(18日)は,歴史に残る「大谷の日」となった。
 この日,私は朝から出かけていた。用事が一段落して,スマホの「野球速報」を見たところ,おお,大谷がホームランを2本打ってる,あ,まだ投げている,無失点だ。いったんスマホをたたんで10分ほどして再開したら,あ,もう1本打った,すげえ,でも打点は3か。
 結局,先発して6回0/3を投げ,無失点,10奪三振,被安打2,四球3,打っては先頭打者を含む3本のホームラン。ドジャースはストレートでワールド・シリーズ進出を決めた。
 思い出すのは昨年9月20日(日本時間)の試合。打者専任だった大谷は,3打席連続のホームランを含めて6打数6安打,10打点,2盗塁という大活躍をして,51-51を達成した。このとき大谷は「一生忘れられない試合」と表現したが,今年は二刀流でこれを上回るであろう忘れられない試合を実現した。

 9月29日に始まったアサヒグループホールディングスへのランサムウエア攻撃によるシステム障害は,かなり回復したが,まだ完全復旧していないようである。
 いつも行っている某繁華街の居酒屋は,ほぼ全面的にアサヒの店なので,一時混乱していた。生ビールはアサヒの樽が届いていたが,瓶ビールは,問屋の判断もあって一時キリン一番絞りとサッポロ黒ラベルになっていた。

 ショパン国際ピアノ・コンクールは,21日に最終結果が発表になり,1位はエリック・ルー(米国),2位はカナダのケヴィン・チェン、3位は中国のワン・ジートン。4位は桑原志織(日本)とリュウ・ティエンヤオ(中国)だった。
 1位のルーは,父は台湾,母は上海の出身,陸逸軒という漢字表記もある。2位のチェンも中国系だろうから,上位5人のうち4人は中国系,1人は日本人ということになる。少し前までの卓球の世界選手権のような状況だ。

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Jun 20, 2025

追悼ブレンデル氏/1番投手兼DH

 アルフレート・ブレンデル氏が6月17日に逝去したとの報が伝わってきた。享年94歳。
 ブレンデルは,かつて私がCDをよく聞いていたピアニストとしてポリーニと双璧をなす。特に,ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集(1970年代の録音)は,最初LPで買って,後にCD(だいぶ安くなっていた)で買い直した。発売当時,バックハウスやケンプの後の新しい世代の登場を告げるものだったのではないかと思う。ほかに好んで聞いていたのは,シューベルトのソナタの数々と,モーツァルトほかの変奏曲アルバム。
 生演奏は,記憶があいまいだが,リサイタルをたぶん3回のほか,N響との協奏曲を聞いた。記録が残っている最後は,1992年1月のリサイタルで,ハイドンとリスト(ロ短調ソナタほか)からなるプログラムだった。

【オータニッキ2025】
 前のエントリーを書いた翌日の6月15日(JST)のSF戦で,24,25号。
 そしてその翌日,「明日は(投手として)先発する」という発表があった。NHKはBS1で中継の予定だったが,急遽地上波で放送することに。
 17日のSD戦では1番投手兼指名打者。投球は1回1イニングで28球,被安打2,犠牲フライで1失点だった。投球を終えると2分後には打席に立つという久しぶりの光景が見られた。この日はその後,2安打,2打点。
 18,19日はノーヒット,20日は1ヒット。

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Mar 05, 2025

春の雪/帝劇最後の日/ミサ通常文

 4月の陽気から一転,3月4日,5日に都内でも雪が少し降った。車のフロントグラスに雪が積もって,円筒状になって横たわっていた。

 2月末で,帝国劇場と新宿アルタが閉館した。共に取り壊し,建て替えになる。
 今までの帝国劇場の開館はは1966年,日生劇場の3年後で,以来,日本のミュージカルの最大の発信地として君臨してきた。私が帝劇で見たのは,『屋根の上のバイオリン弾き』『キスミー・ケイト』『レ・ミゼラブル』など。
 最後の日々は帝劇のミュージカル名曲集のコンサートで,シメは『レ・ミゼラブル』の「民衆の歌」だった。
 以下はまったくの余談で帝劇が悪いわけではないのだが,たぶん森繁の『屋根の上のバイオリン弾き』を見たときのこと,休憩の終わるころになって,あせったおばさまたちが数人「ちょっと失礼」とか言って,男性トイレにどやどやと入ってきたことがあった。

 某日,必要あって「ミサ通常文」をネットで調べようとして,検索窓に「み」と打ったところで出てきた候補は「みのもんた」だった。

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