書籍・雑誌

Jan 12, 2024

篠山紀信と八代亜紀――製本工場,上昇・下降

 写真家・篠山紀信氏が4日死去,享年83歳。ずいぶん昔から知っている名前だが,私と10歳も違わないのだった。最初に知ったのはたぶん『週間朝日』の表紙の女子大生シリーズの宮崎美子の号でだった。
 印象に残るのは,なんといっても宮沢りえの写真集『Santa Fe』(1991年)。そのころ仕事でたまたま某県のある製本工場に行ったところ,そこでなんと『Santa Fe』の製本をしていた。そこは本来製本を担当していた会社ではないのだが,大ヒットで生産が追いつかなくなって,一部を手伝っていたのだった。
 訃報を伝えるテレビのニュースには,篠山氏を語るキーワードとして「ヘアヌード」という言葉が登場していた。NHKでもまったく自然に語られていたのは画期的。

 続いて伝えられたのは,ほぼ同世代の歌手・八代亜紀氏が12月30日に死去したというニュースだった。
 演歌は得意科目ではないが,「雨の慕情」は1980年当時いやでも耳に飛び込んできた。作詞は阿久悠,作曲は浜圭介。童謡「あめふり」の「雨雨降れ降れ」の箇所のメロディが弾みながら上行するのに対し,この曲の「雨雨降れ降れ」は下降していくのはおもしろい対照だ。

 今年のウィーンフィル・ニューイヤーコンサートは,1日夜に生中継されるはずだったが能登半島地震で吹っ飛び,6日午後に録画で放送された。しかしこの日は見ることができず,9日になって「NHKプラス」でパソコン経由で見た。1週間とはいえ,いつでも見られるというのは,ありがたい時代になったものだと思う。

 12月は慌ただしく過ぎたが,1月もいろいろなことがあって飛ぶように過ぎていく。

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Jun 27, 2023

訃報 栗山昌良氏・平岩弓枝氏

 6月23日 オペラ演出家・栗山昌良氏死去,97歳。
 1980年代の二期会を中心に,見た演出オペラは計15回に及ぶ。『カルメン』『ヘンゼルとグレーテル』などのほか,山田耕筰『黒船』『香妃』,團伊玖磨『ききみみずきん』は貴重な経験だった。

 6月9日,作家・平岩弓枝氏死去,91歳。
 私にとってはもっぱら「御宿かわせみ」シリーズの作者であり,そのうち「江戸篇」34冊は2009年から10年に読んだ(→参照)。その後の明治篇は文庫で出るたびに読んでいるが,既刊6冊のうち最新の1冊は,作者の体調が思わしくなくて「その次」がなかなか出そうにないと聞いて,読むのがもったいなくて,買ったが未読である。
 かつて代々木八幡の近くに親戚の家があって,私はその周辺には多少なじみがあった。後に,平岩氏が代々木八幡の宮司の家の生まれであることを知り,勝手に縁を感じていた。

◆オータニッキ
6/24土 対COL ノーヒット2試合の後,25号ソロ チームは逆転負け
6/25日 対COL 25-1のお祭り騒ぎ(なんと打者一巡が2イニング連続)をよそに1安打のみ
6/26月 対COL 2安打1打点 打点アリーグ単独1位
6/27火 対CWS 26号同点ソロ チームはさよなら勝ち

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May 31, 2023

『週刊朝日』休刊/セルフ・レジの進化

 かねてから告知が出ていたように,『週刊朝日』が月30日発売の号をもって休刊となった。『週刊朝日』は家でよく買っていて,子どものころからなじんでいたから,101年の歴史のうちの半分以上におよぶつきあいだった。大人になってからも週刊誌の中では比較的よく読んでいたから,通算ではもっとも多く買った週刊誌ということになる。
 朝日新聞社関係の雑誌では,『朝日ジャーナル』(1992年5月休刊),『Asahiパソコン』(2006年5月休刊 →参照)に続く休刊である。雑誌をめぐる環境の変化は激しい(週刊誌の部数の「法則」については→参照)。

 1982年のこと,ローマの空港の売店で,店員がバーコードを読み取るレジというものを初めて体験した。読み取る速さが新鮮だった。
 それから40余年,書店やスーパーでセルフ・レジに出会うようになったが,先日はユニクロのセルフ・レジを初体験。商品を雑多に入れたかごをそのまま所定の場所にどんと置くと,勝手にバーコードを読み取ってくれるのに驚かされた。

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◆オータニッキ
 5月28日,先発登板 6イニング投げ,勝っている状態で降板したが,そのあと逆転され,勝敗つかず。登板の後の試合ではいつも打撃好調なのだが,その後打撃は不調,打率は .263 まで低下。
 5月31日,CWS戦でようやく13号。

 

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Jan 13, 2020

『ラ・ボエーム』原作の邦訳

 昨年秋,オペラ『ラ・ボエーム』の解説を書く機会があった。そのとき,『ラ・ボエーム』の原作について、「アンリ・ミュルジェの『ボヘミアンたちの生活の情景』(1847-49) という小説です。オペラの原作の作者というと、『オテロ』のシェイクスピアは別格にしても、『ドン・カルロ』のシラー、『フィガロの結婚』のボーマルシェ、『カルメン』のメリメなど、有名作家がたくさんいます。しかし、『ラ・ボエーム』のミュルジェは今はこのオペラとの関連でのみ記憶されている存在で、日本では原作の翻訳も出版されていないようです。」と書いた。
 ところが,その後1か月で状況が変わり,原作の翻訳が,光文社古典新訳文庫の1冊『ラ・ボエーム』として12月に刊行された(→参照)。23の連作小説の全訳で,672ページの大冊である。この文庫は,昨年夏以前に出たものは大部分が電子書籍になっているようなので,今年中ぐらいには Kindle 版が出るのではないかと予想している。
 この光文社古典新訳文庫の目録を眺めてみると,オペラの原作または関連作がけっこうあるのに気づく。カルメン(メリメ),椿姫(デュマ・フィス),サロメ(オスカー・ワイルド),マノン・レスコー(プレヴォ),スペードのクイーン(プーシキン),ねじの回転(ヘンリー・ジェイムズ)といった具合である。また,三文オペラ(ブレヒト)や,バレエの原作となった「くるみ割り人形とねずみの王様」(E.T.A.ホフマン)もある。
 このうち,平野啓一郎訳の『サロメ』は新国立劇場での演劇上演の機会に出版されたものだった(→参照)。

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Feb 25, 2019

追悼 ドナルド・キーン氏

 2月24日,ドナルド・キーン氏死去,享年96歳。
 最初はもちろん,日本文学の研究者・紹介者としてドナルド・キーンという名前を知ったが,その関係の著作をちゃんと読んではいない。しかし,『音盤風刺花伝』『音楽の出会いとよろこび』を読んで,氏が無類のオペラ好きであることを知ってから,勝手に親しみを覚えるようになった。少年のころからメトロポリタン歌劇場に通っていたということで,上記のエッセイ集でも,人の声に対する強い関心と愛が印象的だった。
 2013年に開館したドナルド・キーン・センター柏崎にも行きたいと前から思っているが,まだ果たせないでいる。今年こそ,行かねば。(3月末まで冬季休館中)
 氏と顔を合わせた時のことは,前にこのブログにも書いた(→参照)。その後,5,6年前にMETライブビューイングの会場で見かけたのが,姿を見た最後になった。

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Feb 15, 2016

『百人一首の謎を解く』/オーレル・ニコレ

 草野隆『百人一首の謎を解く』(新潮選書)を読んだ。百人一首の「前身」にあたる「百人秀歌」(これは戦後発見された)を紹介しつつ,これが何のために作られたのかを探るもので,前に話題になったいろは歌についてのトンデモ本のようなものではなく,至ってまっとうな本である。
 百人一首については,「各歌人の代表作が採られていない」「歌人としてほとんど実績のない人が含まれている」という評言が古くからあった。この本では言及がないが,百人一首と同じ100人のもっと優れた歌を選んだ塚本邦雄『新撰 小倉百人一首』という本さえある(ただし,安倍仲麿と陽成院の2名は他の歌が伝わっていないので百人一首のまま)。塚本によれば,百人一首の歌は二条院讃岐以外は代表歌と呼べず,式子・定家等数首を除けば「一切凡作」だという。
 このように秀歌集とはいえないのはなぜか,また不幸な歌人の歌が多いのはなぜかといった謎は,結局,何のために作られたのかという謎に帰着する。これに対するこの本の回答は,もちろんすっきりと証明できるような性質のものではないが,なるほどそういうことがあっても不思議ではないなと思わせる。

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 1月29日,フルートのオーレル・ニコレ死去。
 1970年ごろ,東京文化会館でリサイタルを聴いたことがある。たぶん無伴奏の夕べだったと思う。バッハの無伴奏ソナタがあったこと,若い奥さんとのデュエットがあったことをかろうじて思い出す。
 1950年代,つまりフルトヴェングラー,チェリビダッケからカラヤンに移りゆく時代のベルリン・フィルの首席をつとめた。1957年にオーボエのローター・コッホが入団し,59年にニコレが去って,ベルリン・フィルの木管の音色は大きく変わっていった。
 ニコレは楽器の掃除をちっともしないので,管の内部は非常に汚いという話を聞いたことがある。そのしっとりした落ち着いた音色は汚れのせいだなどと,仲間で噂した。

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Nov 09, 2014

種村直樹・徳大寺有恒氏死去

 徳大寺有恒氏が死去した。著書『間違いだらけのクルマ選び』は,最初単発の本だったが,やがて毎年「○年度版」が出るようになった。
 クルマはおもしろいものだと思うが,毎年読むような趣味はなく,自分がクルマを買い換えるときしか買わなかった。でも,著者がほんとうにクルマが好きで,乗って楽しいクルマを紹介したいという思いが伝わってきて,希有の実用書だった。

 徳大寺氏の訃報の隣をふと見たら,種村直樹氏の訃報が載っていて,驚いた。そういえば最近は種村氏の著作に接していなかった。
 種村氏は,毎日新聞の記者として鉄道関係の取材にあたっていたが,やがて物書きとして独立し,レイルウエイ・ライターを名乗る。代表作「気まぐれ列車」のシリーズを初めとして,若者との接触を大事にし,旅の一部の同行者を募集したりすることもあった。
 よく読んだのは1990年代だった。氏の著作はノンフィクションが多数を占めるが,フィクションもあり,読んだ中では『長浜鉄道記念館殺人事件』がおもしろかった。

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Oct 12, 2014

「みをつくし料理帖」シリーズを読了

 髙田郁「みをつくし料理帖」の最終巻(10冊目)が8月に発売になり,名残を惜しみつつ,1週間ずつ間隔を空けて4編を読んだ。池波正太郎以外の時代小説のシリーズを読んだのは初めてである。
 4月に1冊目をたまたま買って気に入ったのが始まりで,すぐにそれまでに出ていた8冊と別冊1冊をまとめ買いした。文庫本だが書き下ろしのシリーズで,10冊目が最終巻になることは前の巻で1年前に予告されていた。8月下旬の書店では,最終巻と既刊本が盛大に平積みされていた。
 舞台は文化文政時代の江戸,大坂からやってきた主人公の澪が女料理人として成長していくビルドゥングス・ロマンである。武士も町人も,また金持ちも庶民も登場し,それぞれなかなか複雑な過去を持ち,舞台は私にとってはなじみのある神田明神下,俎橋(まないたばし)(神保町3丁目の靖国通りに今も橋があり,交差点名にもなっている)から吉原の郭に及び,スケールが大きい。
 「料理帖」の名のとおり,澪が作る料理がおいしそうなのがこのシリーズの大きな魅力である。冷蔵庫がない時代,新鮮な食材の入手はたいへんだが,その様子が季節のうつろいを鮮やかに描き出す。ただし,実際には,この時代に女料理人というものが存在するのは非常に困難だったように思うが。

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 10月1日の東海道新幹線開通に続いて,50年前の10月10日には東京オリンピックの開会式があった。当日は土曜日で,普通なら午後は部活(吹奏楽)があったはずだが,テレビをナマで見た記憶があるので,部活は特別に休止になったのだろうか。
 開会式で演奏された古関祐而「オリンピックマーチ」は,翌年自分たちで演奏することになる(→参照)。

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May 14, 2013

野尻抱影『天体と宇宙』再び

 2009年4月の当ブログに,子供のころ野尻抱影『天体と宇宙』を暗記するほど読んだと書いた(→参照)ところ,それから3年半後の昨年秋に,「オペラ大好きの天文学者」さんからコメントをいただいた。『天体と宇宙』を「暗記するほど読んだ」方で,結局本職の天文学者になったとのことだった。
 それから半年後の今週5月12日の朝日新聞の読書欄の「思い出す本 忘れない本」というコーナーで,多くの著書のある天体写真家がこの『天体と宇宙』を紹介している。その文中に「全頁の文章をそらんじられるほど,しつこく何度も読み返しました」という一節があり,思わず「あ,またひとり」とつぶやいてしまった。

 最近の宇宙論関係で(もちろんわからないところはたくさんあったがそれでも)おもしろかったのは村山斉『宇宙になぜ我々が存在するのか』(講談社ブルーバックス)だった。この著者は,大学のオーケストラでコントラバスを弾いていた人らしい。

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May 03, 2012

『サロメ』の新訳

 オスカー・ワイルドの『サロメ』の平野啓一郎による新訳が4月に出た(→参照)。以前「カラキョー」で話題になった光文社古典新訳文庫の最新刊である。ご承知のように短い作品なので,戯曲本体より付録部分の方が大きく,ページ数は以下のようになっている。

  本体 75 [献辞等を含む]
  注(田中祐介)  39
  訳者あとがき 28
  解説(田中祐介) 60 [書誌を含む]
  『サロメ』によせて(宮本亜門) 12
  ワイルド年譜 4

 宮本亜門が登場しているのは,新国立劇場での上演(オペラではない)のために平野に新訳を依頼したのが宮本だからである(宮本演出の『サロメ』上演は5月31日~6月17日;→参照 いきなり音が出るので注意!)。
 サロメのせりふは,過度にイマ風にしているわけではないが,現代の15歳ぐらいの女の子がしゃべるとしたらこんな感じだろうという口調になっている。それだけに,ヨカナーンへの妄想が広がっていく過程が直接的に感じられ,恐ろしい。「解説」も渾身の作というべきもので,資料としても貴重である。

 オペラの原作となった古典的戯曲の新訳としては,先ごろ,ボーマルシェの『フィガロの結婚』(鈴木康司 訳,大修館書店)が出た(→紹介)。現代の日本語上演が可能な訳を目指したものだが,こちらは原作がやたらと分量が多く,『サロメ』より字詰めの多い組版で本体は224ページある。日本語で上演したら正味4時間では終わらないのではないだろうか。

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