文化・芸術

Mar 11, 2024

春,開幕の季節/キリスト教交流史

 ボッティチェッリの有名な絵のタイトルは Primavera(春)の1語である。描かれているのは春の風景ではなく神話の世界なので,抽象的なタイトルになったのかなと,さっき思った。
 春らしく気候は気まぐれだが,日は確実に伸びて,いま日の出は6時前,日の入りは17時50分に近づいている(東京の場合)。東京の桜の開花予想は今のところ3月19日。
 3月10日,大相撲三月場所が初日を迎えた。新大関琴ノ若は白星発進。
 18日には,センバツ高校野球が始まる。

 プロ野球はいまオープン戦がたけなわだが,開幕は3月29日(金),いずれもナイトゲーム。この季節,夜は特にけっこう寒いことも多いが,今年はどうか。一方,大リーグは20日・21日に韓国でのドジャース―パドレス戦で先行開幕し,全体では28日に開幕を迎える。
 このブログを始めた2004年3月,大リーグの開幕試合ニューヨーク・ヤンキース対タンパベイ・デビルレイズ戦が東京ドームで行われた(→参照)。これが北米以外での公式戦の最初だと思っていたのだが,今調べたところ,その4年前,2000年3月にシカゴ・カブスとニューヨーク・メッツの試合が東京ドームで行われたのが最初だったそうだ

 3月某日,東洋文庫ミュージアム(東京・本駒込)へ足を運び,企画展「キリスト教交流史ー宣教師のみた日本、アジアー」を見た。「文庫」という名のとおり図書館だから展示は書籍が中心。
 イエズス会のフランシスコ・ザビエルが日本にやってきたのは上記「春」が描かれてから約70年後だった。今回ほとんど初めて知ったのは,日本布教はイエズス会が中心だったが,アジア全体ではフランシスコ会など他の修道会も積極的だったという点。しかも,「羅西日辞典」まで作られているのだった。
  (この企画展は5月12日(日)まで,火曜休)

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Dec 20, 2022

古賀書店の終焉

 神保町の音楽専門の古書店「古賀書店」が今年末で閉店するというニュースが,少し前にスマホに飛び込んできたが,今日12月20日の『東京新聞』朝刊では,この記事が1面トップだった(→参照)。さすが東京の新聞。
 私が初めて行ったのは学生時代,たぶん1970年ごろで,学生オーケストラの同級生とよく知らないで行ってみたところ,楽器店の片隅の音楽書コーナーなどとはまったく違う世界に圧倒され,こんな古書店もあるのかと思った。
 就職後,勤務先が近かったので,少なくとも1か月に1回ぐらいは古賀書店をのぞくようにしていた。ショルティ指揮,ウィーン・フィルによる『ニーベルングの指輪』の録音(1958-65)のプロデューサー,ジョン・カルショーの『ニーベルングの指輪――録音プロデューサーの手記』のことを尋ねたこともあった。(この本は絶版になっていて当時入手できなかったが,2007年に別の訳が出て,ようやく巡り会うことができた。→参照)クラシック関係以外では,ジャズやラテン音楽関係書もかなり充実していた。
 会社が神保町近くから移転してから行っていないので,申しわけないことに12年もごぶさたしてしまった。

 FIFAワールドカップの3位決定戦(18日0時~)はクロアチア2-1モロッコ,決勝(19日0時~)はアルゼンチン―フランスは3-3の引き分けの後PK戦でアルゼンチンの優勝。決勝戦はテレビで見始めたが,あっけなく寝てしまい,気づいたら延長後半だった。

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Jul 08, 2022

横浜で「ドナルド・キーン展」

 6月下旬の某日,横浜・港の見える丘公園そばの神奈川県立近代文学館へ出かけた。久しぶりなので忘れていたが,みなとみらい線の終点元町・中華街駅からは,改札を出たところにあるエレベーターに乗ると「アメリカ山公園」まで上がれるようになっているのだった。アメリカ山公園では各種のアジサイが花盛りで,その間にアーティチョークの紫色のとげとげの花が存在感を放っていた。
 近代文学館で見たのは,「生誕100年 ドナルド・キーン展――日本文化へのひとすじの道」。密度の高い展示だった。その展示の端々から伝わってきたのは,キーン氏の日本文学についての読書量が膨大であること。それが古典から現代に及ぶ幅広い分野の著作の源泉になっていることがうかがえる。各界の多くの人との関わりも紹介されている。一方で,筋金入りのオペラ愛好家としてのキーン氏についても,順路の最後に展示されていた。(私のキーン氏との2回の邂逅については →参照

 帰りに港の見える丘公園で,唱歌「港」(空も港も夜は晴れて…)の碑があるのを見つけた。1896年に発表された「日本初のワルツ」なのだという。こんなの昔はなかったなと思って後で調べたら,2014年6月に設置されたものだという。

 元町の通りへ降り,ワイン・レストランでランチ。店名の下に「by P-」と書いてあったので,もしやと思って店の人に聞いたら,ワインの輸入会社 P- の直営店だという。もう40年以上も前のことだが,当時職場に年に3,4回,P-社の人がワインの見本を抱えてやってきて試飲させてもらう会が開かれていた。ついついみな勢いで注文していた。

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Feb 03, 2013

『トスカの接吻』

 深水黎一郎『トスカの接吻――オペラ・ミステリオーザ』(講談社文庫)というミステリーがあるのを,文庫になって初めて知った(初版は2008年)。読み始めたらおもしろくて,最後は目的地なく電車に乗って読んだ。キザだけど憎めない探偵役の瞬一郎は,ヨーロッパを何年か放浪していてオペラにも美術にも詳しいという設定である。
 『トスカ』第2幕,トスカがスカルピアをナイフで刺す場面で,小道具が本物のナイフにすり替えられ,スカルピア(役の歌手)が舞台上でトスカに殺されるというのが第1の事件である。主に瞬一郎の口から,オペラの制作過程や舞台裏,演出家や歌手の言動が詳細に語られるが,これが(たぶん)ほぼ正確で,この点「さよなら何とか」(1冊半しか読んでいないが)とは大違いである。
 帯での宣伝や解説によると,これは「芸術探偵」シリーズの第2作で,ほかに『エコール・ド・パリ殺人事件』『花窗玻璃――シャガールの黙示』『ジークフリートの剣』が刊行されているというので,先日,神保町郷愁散歩に出かけた際に3冊とも買ってきた。このシリーズ以外にも『五声のリチェルカーレ』など,気になるタイトルがいくつかある。

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Aug 02, 2009

知恩院からルーブルへ

 関西に出張し,京都に泊まった。翌日は昼過ぎまで時間がある。どこへ行こうかと考えているときに,京都市美術館の「ルーブル美術館展」のポスターが目に入った。東京ではうっかり見逃していたので,これを見ることにし,地下鉄に乗った。

 地図を見ると,地下鉄の東山から美術館と反対側に知恩院がある。大本山なのに行ったことのなかったので,先にそちらに向かった。かつて知恩院の名は,大晦日の「紅白歌合戦」の喧噪の直後の「ゆく年くる年」の冒頭で紹介されることで覚えたような気がする。Img_2573

 川沿いの快適な道を歩いて,最初の門まではすぐだったが,そこから本当の境内までの周辺部分が広大で,「系列」の寺院や,学校,その他浄土宗関連の施設がたくさんある。雲があって日差しはそれほど強くはなかったが,さすがに一汗かいて,三門の前に到着。
 前に東福寺に行ったときにも思ったのだが,見慣れている鎌倉の寺と比べると,京都の大寺院はスケールが大きい。ここでは特に三門と御影堂が壮大である。普通の家がほとんど平屋だった時代には,なおさら圧倒的な存在だったに違いない。

 歩いて15分ほどで,京都市美術館に着いた。入場券(1500円)を買おうとして財布を出したところで,同年配の男性から「よかったら,これ使ってください」と声をかけられた。割引券かなと思ったら,なんと無料の入場券だった。券面には「譲渡・転売はできません」と書いてあるが,発売窓口の前で堂々ともらってしまった。
 入口から2室目ぐらいで,この展示の目玉がいきなり登場した。フェルメールの「レースを編む女」と,レンブラントの自画像が,向かい合っていた。フェルメールはB5判ぐらいの小さな絵だった。
 初めて入った京都市美術館は,古典的な貫禄ある建物だった。トイレが,設備は新しいのにやたら臭かったのには閉口した。
 出るころには,会場内はかなりの混雑になっていた。そして,外はどしゃぶり。バス停がすぐ前にあったので,少し待ってバスで京都駅へ向かった。

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Jun 04, 2009

汐留でヴォーリズの展覧会

 汐留へ行ったついでに,松下電工改めパナソニック電工のミュージアムで開かれている「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ 恵みの居場所をつくる」(→参照;6月21日まで)という展示を見た。建築の写真が中心だが,遺品のほか,軽井沢の山荘の内部の再現もある。20棟あまりの建物がある神戸女学院の模型は,特に印象的だった。
 ヴォーリズは,何よりもまず宣教師であり,布教のために建築家として教会や学校を建て,「メンソレータム」の事業を起こした。建築については,リチャード・ロイド・ライト(自由学園明日館,旧帝国ホテルを設計)のような完成された技術を持つ大家ではなく,結果だけ見ると「素朴派」のように見える。それだけに,展示のタイトルにあるように,大きな建物でも個人の居場所がちゃんとあるようなほっとする空間が快い。なにしろ25歳で来日したのだから,実地経験を重ねながら,持ち前のセンスを磨いてきたのだろう。
 神保町近くにも,ヴォーリズの作品として,「山の上ホテル」と「主婦の友社本社ビル」がある。後者は今残っているのは外観だけだが。ほかに,かつてはお茶の水・水道橋間のお堀端にあった受験生の宿「日本学生会館」もヴォーリズだと初めて知った。これは,元「日本文化アパートメント」という高級アパートだったそうだ。

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Nov 24, 2008

『<名画で読み解く> ハプスブルク家 12の物語』

 前に買ってあった中野京子『<名画で読み解く> ハプスブルク家 12の物語』(光文社新書)を,ようやく読み終えた。「ようやく」というのは,読むのに苦労したわけではなく,自分が読む前に貸した身近な人間から返ってくるのに時間がかかっただけで,読み始めたらおもしろくて,一気に読んでしまった。

 デューラー,ティツィアーノ,エル・グレコ,ベラスケスからマネに至る12の名画を軸にして,高校の世界史にも出てくるスペインの築いた「日の没することのない帝国」と無敵艦隊,マリア・テレジア,マリー・アントワネット,第一次世界大戦の引き金になったサラエヴォでのオーストリア皇太子夫妻暗殺といった人物・事件と,オペラ『ドン・カルロ』,ミュージカル『エリザベート』が,双頭の鷲を紋章とするハプスブルクという1本の線でつながる。
 絵と見比べることによってより生々しく迫ってくるのは,ハプスブルク伯ルドルフが選帝侯によって棚ぼたで神聖ローマ帝国皇帝に選ばれて以来の650年の歴史は,血みどろの戦いと政略結婚・血族結婚の歴史だったことである。著者はこの650年という長さを,時代的に重なる徳川幕府の265年,ロマノフ王朝の300年と比較して「類のない長命」としている。そういえば,中国でも,漢が(前漢・後漢合わせて)約400年というのが最長である。
 それに比べると,神保町からも近い所に住むやんごとなきファミリーの「万世一系」1500年以上というのは,ある時期から自ら実質支配をしていなかったから実現した「安定」と言えそうだ。一応支配者だった6~8世紀ごろの「血みどろ度」「血族結婚度」はハプスブルク家に近かったと思う。

 『ドン・カルロ』のフェリペ2世は孤独な老王だが,実際にはエリザベッタと結婚したとき32歳で,その前にはイングランドのエリザベス1世との縁組みを画策したこともあったという。仮にこれが実現していれば,オペラの世界では『ロベルト・デヴェリュー』はなかったし,『アンナ・ボレーナ』『マリア・ストゥアルダ』などもかなり違う形をしていたことだろう。

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Nov 21, 2008

円熟の静けさ ハンマースホイ展

 国立西洋美術館で開かれている「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」展を見た(→参照;会期は12月7日まで)。フェルメール展の帰りにポスターを見て良さそうだなと思ったのだが,期待以上に充実した展覧会だった。
 ハンマースホイはコペンハーゲンに生まれ育った人で,1864年生まれだからリヒャルト・シュトラウスと同い年であるが,シュトラウスの饒舌とは無縁の静けさに包まれていた。

 室内の絵が多い。しかも,誰もいなくて,家具も少ししかなく,あるのは窓からの光,という絵が多い。非常に写実的なので,何枚も見ているうちに,知っている家をのぞいているような気分になる。人物がいるものもあるが,それは妻のイーダで,常に黒い服を着ていて,動きはほとんどなく,後ろ姿が多い。イーダも文字通り still life(静物)なのである。
 ピアノの前に座るイーダを斜めの光が照らす――そう,フェルメールを思わせる絵もあった。ハンマースホイはオランダの室内画もよく研究したらしい。
 デンマークの王宮など,屋外の絵もあるが,ここにも人はほとんどいない。

 静かな世界にひたった帰り道の上野駅には,フェルメール展は「入場制限中,1時間待ち」という掲示が出ていた。

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Sep 28, 2008

フェルメールが7点

 東京都美術館(上野)でやっている「フェルメール展――光の天才画家とデルフトの巨匠たち」を見てきた。
 フェルメールが7点も,ということで,混んでいるのだろうなと覚悟を決めつつホームページを見たら,ケータイサイトで現在の待ち時間がわかるというので,そのURLを読み込んで出かけた。上野で降りる直前にアクセスしてみたら幸い「待ち時間0分」だった。
 会期が4か月以上あり,まだ半分以上残っているせいか,会場は,もちろんすいてはいないが,一応自分のペースで見られる程度の混雑だった。「終盤」になるともっと混むに違いない。

 フェルメールは,当初予定から1点差し替えになったが,「7点」は維持された。現存の作品は,多少の議論はあるが37点,ひとつの美術館で所蔵しているフェルメールはアムステルダム国立美術館とメトロポリタン美術館の各4点が最大なのに,7点同時に見られるというのは空前のことであり,たぶん絶後となろう。
 いちばん印象的だったのは,唯一の街角の風景画「小路」。人はいるが,静かな風景である。
 フェルメール以外も粒ぞろいで,特に,同時代のピーテル・デ・ホーホが良い。

 ネット上の完備したリストによると,フェルメールは,これまでに16点が日本にやってきたという。数えてみたら,私が見たのはこれで15点になった。

  (2008年10月2日に一部修正しました。)

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Oct 27, 2007

Beethoven Conspiracy

 国立新美術館にフェルメールを見に行ったら,フランク・ウイン著『私はフェルメール――20世紀最大の贋作事件』(ランダムハウス講談社)がちゃんと置いてあった。フェルメールの贋作者であるハン・ファン・メーヘレンという人の伝記である。

 iioさんのブログでは,この本を紹介するとともに,音楽の贋作について思いをはせていた。それで久しぶりに思い出したのはトマス・ハウザー『死のシンフォニー』(創元推理文庫)である。この本のカバーには Beethoven Conspiracy という原題が書いてあってそこですでに半分ネタバレだが,ベートーヴェンの未発見の作品をめぐるミステリーで,非常に珍しいことにヴィオラ奏者(女性)が主人公である。
 ミステリーをあまり多くは読んでいない者としては,最後の方はミステリーとはいえなくなってしまうような感じもしたが,おもしろく一気に読んだ。
 音楽や演奏家に関するディテイルも実によく書いてあって,主人公のリサイタルの曲目など,友人のプロのヴィオラ奏者が感嘆していた。

 映画の邦題はそのままカタカナということが非常に多くなっているから,この小説が今もし映画化されたとしたら,邦題は『ベートーヴェン・コンスピラシー』となりそうだ。
 ただし,映画化するには,ベートーヴェンの有能な贋作者が必要だ。まあ一部分あればいいのだけれど。

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