旅行・地域

Jun 27, 2025

電話がつながらないホテル

 先日,ヨーロッパ在住で久しぶりに日本に一時帰国している知人から,「ホテルの部屋から外へ電話ができないので,電話をください」という伝言があった。そんなことあるのかと思いつつ,都内の某ホテルに電話をした。
 よくある自動受付の応答があり,「日本語によるお問い合わせは1番を押してください」などという(以下,英語は2番,中国語は3番)ので1番を押し,次のもう一段階の選択肢の壁を乗り越えて,ようやく人間の係が出た。で,電話を部屋につなぐように言ったところ,「実はシステム障害が起きていて電話をつなぐことができない,(フロントまで)呼んでくるのでこのまま待ってほしい」という。だいぶ待ったあげく,「ちょっと時間がかかっていますので,折り返し電話するようにお伝えします」ということになり,さらに数分後,本人から電話がかかってきて,ようやく話ができた。
 みなスマホを持っているので,ホテルの電話など必要がないということなのだろう。もしかしたら,説明が面倒なのでシステム障害と言っているが,詐欺電話の発信に使われたりするとやっかいなので,普通は部屋につながないようにしているのではないか,と勘ぐりたくなった。
 いずれにしても,《スマホを持たざる者は人にあらず》という状況は確実に進んでいる。飲食店での注文にも,チェーン店での買い物にも,もちろんテーマパークなどの大規模施設の予約・入場・飲食にも,スマホは必須であり,高齢者といえどもつきあわざるを得ない。

【オータニッキ2025】
 6月23日,WSH戦で2回目の登板。1イニング18球を投げて,失点0,被安打0,三振2と好投。この日の打撃は,4回に満塁で走者一掃の3塁打,6回に26号2ランを打って,打点5。
 引き続き,25日 COL戦で27号,27日は28号。

| | Comments (0)

May 25, 2024

同級生がもう1人――鹿児島にて

 1990年代の1月のある日,出張で鹿児島に行った。
 当時,鹿児島には,高校の同級生S君が単身赴任していた。出張の予定は年末に決まったので,その年のS君あての年賀状に「1月に鹿児島へ出張する」と書いておいたところ,1月になってS君から「いつ来るの?」と電話があった。福岡で用事をひとつすませてから鹿児島本線で行くことを伝え,その場で時刻表を見て,某日の夜,西鹿児島(今の鹿児島中央)に着く列車に乗ることを決めた。
 当日,少し遅れそうになったが,なんとかぎりぎりで予定の特急に乗り,西鹿児島に着いた。で,改札口でS君が出迎えてくれたのは予定通りだったが,その横になんと,同じく高校の同級生のY君がいたのである。
 飲みながら聞いたところでは,前年秋に,羽田から鹿児島へ向かう飛行機の待合室のトイレで2人はばったり会って,お互いが鹿児島勤務であることを知ったという。しかも2人ともこのときすでに鹿児島勤務4年目なのだった。
 このときの九州出張では雪に降られた。九州の車はチェーンなど持っていなくて,あちこちで立ち往生が発生していた。

 大相撲は明日千秋楽。優勝争いの単独先頭は3敗の大の里,後に琴櫻,阿炎,大栄翔が4敗で続く。

| | Comments (0)

Nov 27, 2023

箱根の山のオーバーツーリズム

 11月の某休日,孫④⑥の一家が1泊で箱根に出かけるというので,われわれも同じ宿を予約して,現地で合流することにした。
 朝10時,小田急の特急で新宿を出発。途中小田原にしか止まらない最速のロマンスカーで,ぱっと見たところでは満席の乗客の4割ぐらいが外国人観光客だった。終着箱根湯本で,同じホームの先のほうから出発する箱根登山鉄道に乗り換え。車内はほぼぎっしり満員で,終点のひとつ手前の彫刻の森駅で中央部の座席から下車するのはなかなか大変だった。彫刻の森美術館の前で,車でやってきた孫一家と落ち合う。

 翌日は仙石原のすすきを見たあと,バスで移動しようとしたら,最初に来たバスは満員で乗れなかった。幸いバスの本数が多い路線だったので次のバスに乗れたが,平日なのにかなりの混雑だった。そうか,これが話題のオーバーツーリズムか。ただし,われわれも観光客なので,これを引き起こしている当事者でもある。
 その日の午後,われわれは孫たちと別れて帰宅の途へ。しかし,乗ろうとしたバスがちっとも来ない。ここもメインルートで1時間4本以上走っているが,20分ほど遅れて来たバスはほぼ満員。それでも,まず入口近くの人が5,6人降りて通路を空け,ここで降りる人が3人降りて,通路を空けるために降りた人たちが乗り,続いてわれわれを含めて3人乗ることができた。行列の後の十数人は置き去りである。気の毒だと思うが,どうしようもない。
 以後,同様のことが何度か繰り返され,途中からはもうまったく降りず,まったく乗れずという状態になった。われわれの2つ後のバス停から乗ってきた五十代ぐらいの男が,これはもう不愉快なやつで,いらいらと落ち着かず1分に30回以上舌打ちをし,ため息をつき,車内は混んでいて暑いのに「寒い,暖房入ってるのかよ」とぶつぶつ言い,隣の人の荷物がちょっと触ったらしく斜め後ろを睨んで威嚇する。あげくのはてに,その後降りる人がいて座席が空いてそいつが座ったのだが,脚を広げて2人分の席を占領してしまった。
 箱根の山を下りるにつれて渋滞も激しくなり,結局,すし詰めのバスに1時間20分立ちっぱなしで箱根湯本着。帰りのロマンスカーの切符を買ったあと,カフェで休憩と思ったがその類の場所は見当たらず,駅の狭いベンチで待ち時間を過ごした。

 26日,大相撲九州場所は千秋楽,霧島が優勝した。大関に昇進した七月場所で最初休場,途中出場して負け越し,先場所はカド番を9勝6敗でしのいだあと,今場所は13勝2敗というなかなか立派な成績で優勝。しかし,次は綱取りへまっしぐらというのはなかなか大変そうだ。

| | Comments (0)

Apr 24, 2023

連休1週間前

 連休1週間前の土日に,孫の家2家族と共に,1泊2日で房総半島某所に出かけた。われわれは,孫②⑤と共にJRの特急で土曜日昼に出発,土日だからもっと混んでいるかと思ったらだいぶ空席があった。連休には4年ぶりの大混雑になるとの予測もあるので,その前週というのは正解だったかも。
 下車した駅からはレンタカーで移動した。借りたのは,6人乗れるミニバンで,幼児用のシート付き。レンタカーを借りたのは2019年秋の沖縄(首里城炎上の前日)以来で,高齢者運転マークを持参して貼った。

 泊まったのは貸し別荘のようなところで,川を見下ろし,広々していて快適。ただし,フロアに大きな段差があったり,手すりのないロフトに寝室があったりで,幼児からは目が離せない。
 30分差で孫④の一家も到着し,総勢大人6人,幼児3人が勢揃い。幼児3人は,同世代のいとこ同士でさっそくはしゃぎ回っていた。夕食は,ピザ,パエリア,手作り餃子で,子供たちもよく食べた。

  ーーーーーーーーーー
 もう4年前のことになってしまったが,2019年4月1日に新元号「令和」が発表され,5月1日に改元が行われた。
 当時,事情通に聞いたところによれば,この2019年4月から2020年3月までの年度の名称は「令和元年度」ではなく,「平成31年度」というのだという。なるほど,年度始まりの日はまだ平成31年だから当然ではある。「2019年度」といえばすむところだが。

◆オータニッキ
◇4/22 土 対KC
 先発し,7回無失点,2被安打,11奪三振,2四球で,3勝目。
 無失点だったので,防御率はさらに下がって驚異の 0.64。
◇4/24 月 対KC
 ウォード,トラウトに続いて三者連続となる5号ホームラン。
 ほかに犠牲フライで1打点,プラス内野安打。

| | Comments (0)

Oct 02, 2022

九月下旬日常

◇9月24日
 信州・飯山へ。同居人が合唱の演奏会に出演するため,付き添いで。東海道新幹線は台風で前日から大混乱だったが,北陸新幹線は平常運転。高崎から先は青空だった。
 午後,合唱のリハーサル中は,城跡,雁木の町などを散策。
 夕食は,名物のうなぎ。市内泊。

◇9月25日
 午前,市内散策の続き。サバ缶が飯山のソウルフードなのだという。
 午後,美しいホール(隈研吾氏設計)で,合唱の演奏会本番。地元の合唱団に,同じ指揮者による東京の合唱団が加わったもので,地元ゆかりのソリストも出演。
 飯山を18時過ぎに出て,帰京。首都圏以外への外出は3年ぶりだった。
 大相撲秋場所で,玉鷲優勝。

◇9月26日
 親戚の葬儀へ。葬儀への出席はコロナ渦後初めて。

◇9月27日
 「国葬」が行われ,ヘリコプターが一日中飛んでいた。
 ニュースをちらりと見たら,献花時に『カヴァレリア・ルスティカーナ』間奏曲が演奏されていた。この曲,前にも追悼の場で演奏されるのを聞いたことがあるが,オペラの中では殺人(決闘)の前のつかの間のおだやかな時間であり,なんとも皮肉。

◇9月30日
 エンゼルス大谷翔平が8回2死までノーヒットノーランの快投で15勝目,打撃は2安打。

◇10月1日
 孫③の誕生日。プレゼントを届ける。

| | Comments (0)

Nov 13, 2020

十・十一月日乗

◇10月20日
 9:58 大宮発の北陸新幹線「はくたか」で,軽井沢へ。高崎も停まらず軽井沢までノンストップでびっくり。軽井沢高原文庫で,「詩人・建築家 立原道造」展を見る。帰りは 13:55発の「あさま」。こんどは1日3本しかない全駅停車。コロナ後初めて首都圏を出た。

◇10月31日
 福島県・宮城県の県境部分の丸森―富野間が最後まで不通になっていた阿武隈急行が,全線復旧した。

◇11月3日
 特急「スペ-シアきぬがわ」に乗り,孫のお供で栃木県の「東武ワールドスクウェア」へ。まだ2歳の孫にはどうかなと思っていたが,新幹線などを見つけてはしゃいでいた。20年以上前に来たときはなかった建物がいろいろ追加されていた一方で,実物がなくなったニューヨークのワールドトレードセンターも健在である。

◇11月4日
 ウィーン・フィルがチャーター便で福岡に到着した。隔離ツアーで大変そうだが,今は東京・サントリーホールでの演奏会が無事に進行中。フル編成,フル観客での来日公演は,ほんとうに奇跡的。ドイツの新聞が,文化面でなく社会面で,驚きをもって報じているという。

◇11月8日
 米国大統領選挙で,投票から5日後にようやくジョー・バイデン氏の当選が確実になり,勝利宣言。4年間の混沌に光が差し込む。しかし敗北宣言はなく,なお遠吠え中。
 2000年の選挙では2代目ジョージ・ブッシュ氏の当選がなかなか決まらず,当時その名前を入れなければならないレファレンス・ブックの編集の大詰めを迎えて,毎日やきもきしていたのを思い出す。

| | Comments (0)

Jan 17, 2017

いつまで運転できるか――山梨県立美術館へ

 昨年のニュースで身近なこととして聞いたのは,高齢者の運転による事故の頻発だった。集中力が長時間続かなくなっているのは事実だし,自分はあと何年運転できるだろうかと気にかかる。一方で,私の音楽上の師の一人で78歳まで運転していた人が,「免許の更新のときに認知症のテストを受けたけど,あんな易しいのに通らないようじゃ確かにダメですね」と言っていたのを思い出す。
 私は鉄道が好きだし,酒も好きなので,ふだん出かけるときに車でという発想はほとんどしない。したがって,日ごろたいした距離は走らない。ただし,必要があって,わずかな距離だが少なくとも週に3回は運転している。車の購入費と諸経費よりタクシーを使った方が安いと思うような乗り方だが,近いが故にタクシーもけっこう面倒で,安全に乗れる限りは乗りたい。

 昨年11月,たまには少し長い距離を運転しようと思い立って,一人で甲府の山梨県立美術館まで車で行った。往復250kmほどで,普通の人からするとたいした距離ではないが,私にとっては100km以上運転するのは久しぶりだった。
 ミレーの「落ち穂拾い」で有名な山梨県立美術館へは,開館後間もない1979年に一度行こうとしたことがあった。しかしそのときは,甲府駅からのバスで寝過ごしてしまい,気づいたら駅に戻ってきていて,時間がなくなって行かれなかった。今回は37年ぶりにそのとき以来の宿題を果たしたことになる。
 着いたら1時過ぎだったので,まずレストランへ。甲州みやげの定番・信玄餅の会社の経営だった。次いで,屋外に置かれた彫刻などを見てから,館内に向かう。ありがたいことに,65歳以上は県民以外でも無料だった。
 看板のミレーの作品は「ミレー館」で展示されていた。しかし見るべきはそれだけではなく,常設展で見ることができたのは収蔵品のごく一部だと思うが,国内外の名品が並び,密度の高い展示だった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Nov 08, 2016

水戸芸術館で25年前を思う

 某平日,初めて水戸芸術館へ行った。見たのは,現代美術ギャラリーの「クリストとジャンヌ=クロード アンブレラ 日本=アメリカ合衆国1984-91」という長い名の展示。ありがたいことに65歳以上は無料だった。1991年秋に,茨城県の常陸太田の川沿いに青い傘を1340本,米国カリフォルニアに黄色い傘を1760本立てたクリストの「アンブレラ・プロジェクト」にまつわる資料の展示である。
 私は25年前のこのプロジェクト(→参照)を,水郡線に乗って常陸太田まで見に行った。その後カリフォルニア会場で傘が風で倒れて死者が出る事故があってプロジェクトは予定より早く終わった上に,会期中天気が良くない日が多かったのだが,私が行った日はよく晴れて青い傘が山の緑に映え,まさに一期一会の体験だった。
 そのときのように,水戸はよく晴れていた。常磐線からも見える芸術館のシンボルの塔に登った。潜水艦のような丸い窓から那珂川が見えた。塔内のBGMは,芸術館を本拠地とする水戸室内管弦楽団の演奏だった。
Apa275255

 帰りのバスの中の宣伝がちょっとおもしろかった。いわく「東大,医学部,早慶上智,偏差値40からの逆転合格は,………○○塾。筑波,茨大も○○塾。」 逆転専門らしい。


Apa275280


| | Comments (0) | TrackBack (0)

Jun 29, 2016

イギリスのEU離脱

 6月24日昼過ぎ,イギリスの国民投票でEU離脱派が勝利というニュースに驚き,次のエントリーを書こうと思っていたところだったが気勢を削がれて,更新が遅れてしまった。接戦が伝えられていたものの,スコットランド独立の件と同様,最後は反動バネが働いて離脱にはならないと予想していたのだが,考えてみると,特にEU以前を知っている高齢層にとっては離脱が反動でもある。
 イギリスは通貨統合には参加していなかったが,EUの象徴が通貨ユーロである。EUの発足は1993年だが,2002年にユーロの紙幣・硬貨の使用が始まり,EUが誰にも実感される存在となった。2005年暮れに14年ぶりにヨーロッパに行き,オーストリアで初めて「ユーロ体験」をした。前のときに残っていたオーストリア・シリングの紙幣があったので,ユーロに両替できないか銀行で聞いたのだが,中央銀行へ行ってくれという返答だった。
 「理念先行」のヨーロッパ統合だったことが今回の英国離脱を招いた,という論調もあった。その統合の構想の源流はいろいろあるようだが,そのひとつはリヒャルト・クーデンホフ=カレルギー(1984-1972)によるものである。リヒャルトの父はオーストリア=ハンガリー帝国の外交官ハインリヒ,母は青山光子で,リヒャルトも東京生まれである。ミツコは後にヨーロッパでもっとも有名な日本人女性となった。(→参照

 サッカーの欧州選手権EURO2016で,その英国からイングランド,ウェールズ,北アイルランドがベスト16に入り,そのうちウェールズが準々決勝に進んだ。イングランドを破ったのはなんとアイスランド,人口33万人の超小国である。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 30, 2015

カバン事件始末――グアム旅行の前に

 先週末は,息子の結婚式のためグアム島へ出かけた。手続きや準備はちょっと面倒だったが,行ってしまえば面倒なことはなく,両人のごく親しい友人と家族,計18人の挙式・祝宴は,なごやかで楽しいものだった。昼間の気温は30度で,ここ数日の東京と同じぐらいだった。
 海外へ出かけるのは,2005年末にブダペスト,プラハ,ウィーンに出かけて以来9年半ぶり(→参照)。アメリカ合衆国は,昔トランジットのためアラスカのアンカレッジに降りたことがあるだけで,入国するのは初めてだった。

 その前週の金曜の夜,なじみの居酒屋Fでちょっとした事件があった。
 定量飲んで,9時半ごろ勘定をしてもらおうとしたら,席から4メートルぐらい離れたビールのケースの上に置いたカバンが見当たらない。その近くに少し似ているカバン(間違えるほど似てはいないと思うのだが)があり,聞いたら持ち主がなかったので,その近くにいた常連でない人が間違えて持って行ってしまったらしいと判明した。
 私はポケットに物を入れないことにしているので,財布もカードもすべてカバンに入っている。スマホだけはベルトにつけてあり,スイカアプリが入っているので電車に乗って帰ることはできるが,家の鍵がないので,入れるかどうかはわからない。残されたカバンを店の人がのぞいてみたところ,なんだか仕事のカバンらしい。なかったら向こうも困るだろうと思ったが,純粋に仕事用だとすると,今日は酔っ払ってしまって月曜朝まで気づかない可能性がある。
 なにもできずに待つこと30分ぐらいで,その人から店に「あと40分ぐらいで返しに行く」と電話があった。今日じゅうに解決しそうということになって,やれやれ。その後すぐにもう一度「もう少し早く着く予定」と修正の電話があった。一安心して,もう一杯飲んでいるうちに当人登場。無事カバンを交換し,お詫びの品(煎餅の詰め合わせ)をもらった。
 たぶん帰る途中で気づいて,まず店の電話を調べ,それからお詫びの品を買ってとんできたわけで,まあ律儀で行動がすばやい人なのだろう,それほど酔っていなくてよかった,などと,店のお姐さんや残っていた常連客と話をした。店を出て,どっと疲れが出た。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

より以前の記事一覧