横須賀

May 11, 2022

大谷の満塁弾/87%

 5月10日,故郷・横須賀へ。用事がすんだあと,遅い昼食をとろうと「中央酒場」に入ったところ,店内のテレビがちょうど米大リーグ・エンジェルスの試合を放送していた。画面の右上隅に「大谷 3番DH 5号ホームラン」という表示が出ている。おお,打ったのか。
 で,大谷の次の打席は満塁の場面。走者一掃の2塁打ぐらい打たないかなと思っていたら,なんと堂々の満塁ホームラン。あれ,去年,満塁ホームランはなかったよなと思ったら,去年どころか,日米を通じて初の満塁弾なのだった。
 今年の投手・大谷は,最初は2敗したが,その後は非常に良い内容の投球で3勝を挙げた。打者としても,この2本のホームランで波に乗ってほしい。

 8日,大相撲五月場所が始まった。すなわち午前中は大リーグ,午後は相撲を見るのに忙しい日が続くということ。
 今場所の観客数は,通常の87%を上限とするとのことで,かなり賑わいが戻った。4日目は,3大関と横綱が全員勝った。

 食品の値上げが相次いでいるが,某繁華街の居酒屋Fでも,刺身,揚げ物などを中心に一部のメニューが5月2日から値上げされた。

| | Comments (0)

Mar 08, 2022

たまほる,まぐから――中央酒場より

 某平日,故郷の横須賀へ行った。用事が済んだあとは,いつものとおり横須賀中央駅近くの「中央酒場」で遅い昼食とした。
 この店は,ホッピーの聖地・横須賀の名店といわれるだけあって,ホッピーはもちろん「三冷」,すなわち焼酎,ホッピー,グラスが冷えた状態で,氷を入れないで出てくる。食べ物は多彩で,横須賀風の辛子を塗った湯豆腐やポテチキャベツもあるが,少し珍しいメニューとしては「ニラ玉ホルモン」がある。ニラ玉炒めの豚バラをホルモンに置き換えたもので,店の人が使う略称は「たまほる」。
 もうひとつ,これもほかの店ではあまりお目にかからないのが「まぐろの唐揚げ」,略称「まぐから」である。この店はまぐろのメニューが豊富で,刺身,ぶつ,まぐろ納豆,照り焼きのほか,まぐろの串カツ,まぐろ鍋,まぐろバターなどがある。
 おもな料理は「少なめ」(値段はマイナス100円)で頼むことができるのもこの店の特徴。この日は「たまほるの少なめ」を食べた。見た感じとしては分量は正規品の8割近くあった。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 朝になったら軍隊が撤退していて,青空が広がっていた,ということはないのだろうか。

| | Comments (0)

Mar 10, 2019

京急が4駅の駅名を来年変更

 旧聞ではあるが,後のために記しておく――今年1月25日,京浜急行は4駅の駅名変更と,10駅の「副駅名」設定を発表した。実施は1年後の2020年3月。
 駅名変更は以下のとおり:

・産業道路駅(川崎区,大師線) → 大師橋(だいしばし)
・花月園前駅(横浜市鶴見区,本線) → 花月総持寺(かげつそうじじ)
・仲木戸駅(横浜市神奈川区,本線) → 京急東神奈川(けいきゅうひがしかながわ)
・新逗子駅(逗子市,逗子線) → 逗子・葉山(ずし・はやま)

 京急の駅名の変更は,たぶん,2004年に京急安浦(横須賀市,本線)を県立大学前に改称して以来である。また4駅もの同時改称は,「湘南…」から「京浜…」へ(1963年),「京浜…」から「京急…」へ(1987年)の一斉改称を除くと,例がないのではないか。
 発表資料で,本線より先に大師線の駅が置かれているのは,100年前に最初に開業したのが川崎大師への線路だったという歴史を意識したものだろう。

 「「副駅名標」として,駅看板の一部に表記」するのは以下の10駅で,うち4駅は上記の改名する駅で旧駅名を表記するもの。

・鮫洲駅   鮫洲運転免許試験場
・大森海岸駅   しながわ水族館
・京急鶴見駅   大本山總持寺
・日ノ出町駅   野毛山動物園
・追浜駅   横須賀スタジアム
・汐入駅   横須賀芸術劇場
・産業道路駅  旧駅名 産業道路 (駅名は「大師橋」に改称)
・花月園前駅  旧駅名 花月園前 (駅名は「花月総持寺」に改称)
・仲木戸駅   旧駅名 仲木戸 (駅名は「京急東神奈川」に改称)
・新逗子駅   旧駅名 新逗子 (駅名は「逗子・葉山」に改称)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Jan 05, 2018

旧臘短信

◇3か国
 12月某日,テレビのニュースで,「3か国の半分の6か国が…」という言葉が聞こえてきて,あれ,6か国と3か国が逆じゃないのと思った。画面を見たら,「3か国」ではなく「参加国」だった。

◇まともな英語
 関連のニュースで,河野太郎外相が,国連安全保障理事会で英語で議長をしている姿が映った。英語の発音がかなりまともだなと思ったら,ワシントンD.C.のジョージタウン大学を出たとこのこと。

◇横須賀ヒストリー
 NHKテレビの「ファミリー・ヒストリー」の桂歌丸の巻を見ていたら,歌丸の祖母は三重県生まれだが,若いころ私の故郷・横須賀にいたという話が出てきた。柏木田遊郭で働いて遊郭の「運営」を学び,後に横浜で自分で遊郭を開いたという。
 柏木田は今の上町(うわまち)3丁目の一部で,駅は京急の県立大学前が近い。戦前は横須賀随一の色街で,客には海軍関係者が多かった。

◇サンタが迷子
 クリスマス・イブにデパートを通りかかったら,「白いズボンにサンタクロースの上着と帽子をお召しの6歳の男の子を,お母さまが探していらっしゃいます。お気づきの方は…」というアナウンスが聞こえてきた。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Oct 08, 2017

居酒屋の会話帖

 居酒屋での知人Nさんが,喉の手術をして話すのが難しくなり,「会話帖」を使っている。ホワイトボード薄くしたようなつるつるの厚紙を綴じたノートで,Nさんが話したい内容を書いて相手に示すと,耳は問題ないので,相手は声で応える。だから,正確には「発話帖」で,Nさんは用が済むとどんどん消してしまう。しゃべるのと同じ感覚である。
 Nさんとよく連れ立ってやってくるKさんは,ときどきつられて自分も会話帖に書き込んで,「あ,オレは書く必要ないんだよな」と言って自分で苦笑したりする。
 当然思い出したのはベートーヴェンの会話帖。もしこれがNさんのようなノートだったら後世に残らなかった。しかし,よく考えると,ベートーヴェンの場合は耳が聞こえないのだから,会話帖に書くのは主にベートーヴェン以外の人である。こちらは「受話帖」というべきか。

 昔,職場の先輩で,だれかの訃報をきくと必ず「季節の変わり目だからね」とか「この気候じゃね」という人がいた。こういう感覚も,季節の移りゆきへの敏感さの表れかもしれないと思うようになったのは,だいぶ後になってからである。日本の季節は,真夏・真冬の一時期を除いては,「いつも変わり目」とも言える。
 ここ数日,急に涼しくなったり,また暑い日が戻ってきたりしている。そういえば昔の学校では6月1日と10月1日が「衣替え」の日で,この日に一斉に制服を夏服または冬服にしていた。6月1日には女子高生のブラウスがまぶしかった。今は機械的に一律にとはしない学校も多いようだ。

 ~~~~~~~~~~~~~~
 郷里・横須賀にちなむ田中宏巳『横須賀鎮守府』(有隣新書)という本を読んだ。さすがというべきか,発行日は5月27日,つまり昔の海軍記念日になっていた。
 ちなみに,横須賀鎮守府の略称・愛称は「ヨコチン」だったという。
 立川談四楼のシリーズ(→参照)第3弾『もっとハゲしく 声に出して笑える日本語』(光文社知恵の森文庫)が出た。2009年の1冊目・2冊目以来である。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Dec 28, 2016

火事記――横須賀市立病院 1962

 糸魚川で大火があった。ビル火災は別として,市街地の広い地域の火災は久しぶりで,ニュースで「大火」という言葉が使われるのもこの前はいつだったのか記憶がない。大火があった都市というと酒田,新潟,飯田,函館,八戸などといった名が思い浮かぶが,調べたら酒田(1976)を除いてみな60年以上昔の話で,実はなんとなく聞いたことがあるというだけだった。
 大火でなくても昔の方が火事が多く,私も何度か現場に遭遇した。郷里の横須賀には20年あまり住んでいたが,その間に自宅から徒歩3,4分の範囲で3回火事があった。その中で最大だったのは,1962年3月の横須賀市立病院の火災である。自宅との間には丘があって飛び火の心配はなかったが,町内最大だった建物が焼け落ちるのは恐ろしい光景だった。ちょうど小学校の卒業式を終えた直後に,自分が生まれた病院が焼けたということで,自分史の中でも印象に残る事件となった。
 横須賀市立病院の前身は,旧日本海軍の横須賀海軍病院だった。ということは横須賀市に払い下げられたのは戦後だと思い込んでいたのだが,今回ネット上の資料をあさってみたところそれは誤りで,関東大震災の後のことだったという。明治時代に建てられた建物が大震災で壊れたので,海軍病院は鎮守府近くに移転し,元の場所は横須賀市に移管されて,横須賀市はそこに1931年に市立病院を建てたということらしい。焼けたのは建築の31年後だったことになる。玄関には優美なカーブを描いた車寄せがあって,後から思うとなかなかしゃれた建物だった。
 火災後,病院は再建されず,3年後に横須賀市文化会館が建って,三浦半島随一の演奏会場となった。しかし29年後に,その地位は,オペラハウス仕様の横須賀芸術劇場に譲ることになった。
 私が通っていた小学校の校舎は旧海軍の施設で,米軍基地に接していた。金網の向こうには米海軍の病院があり,ときどき車椅子の人が看護婦さんに押されてその静かな庭を横切ったりしていた。震災後移転して新築された横須賀海軍病院の建物は,現在も米海軍が病院の一部として使用しているというから,私が見ていたのはその建物の裏側だったのかもしれない。後にヘミングウェイの『武器よさらば』を読んだとき,舞台となった病院の風景としてこの米海軍の病院を重ね合わせたりした。

 勤め人生活を終えて,年末だから特に忙しいということもないはずだが,実際には何かと気ぜわしい。ブログの更新もだいぶ間が空いてしまった。この間,暖かい日が多かった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 17, 2016

横須賀の料亭「小松」全焼

 16日夜,某所でテレビのニュースがかかっていて,「かつて海軍大将・山本五十六らも通った老舗料亭が…」と言っているのが聞こえた。あ,小松のことだな,と思って見ると,激しく炎が上がっている画面が目に飛び込んできた。このところ湿度が低かったし,木造の建物はひとたまりもなかったことだろう。
 郷里・横須賀の料亭「小松」は,だれも呼んでくれる人がいなくて入ったことはないが,海軍御用達の高級料亭として,親またはそれ以前の世代から住んでいる者はだれでも一応は知っている。私の実家からは,まっすぐの道はないので歩くと15分ぐらいかかるが,直線距離は500mぐらいしかない。

 下の写真は,2012年9月に通りかかったときに,古い立派な建物がちゃんとがんばっているなということで写したもの。もう1枚は,その真向かいの私立高校の出身選手応援の垂れ幕で,オリンピック後に銀メダルお祝いのメッセージが加わっている。今回調べたら,この学校は女子高だったのが2000年に共学となり,2013年に市内の別の場所に移転したとのこと。

Komatsu201209a
 
 
 
Komatsu201209b


| | Comments (0) | TrackBack (0)

Mar 17, 2015

よこすがでニタリ雪投げ文明堂

 会社の先輩で,私の故郷・横須賀(よこすか)を「よこすが」と発音する人がいた。しかも東京ことばの人で「が」は正しく鼻濁音になるから,よけいにふがふが間が抜けた発音に聞こえる。ここはぜひスカッとさわやかにお願いしたい。

     * * *

 前にラジオで,「野ばら」の訳詞の冒頭を「わらべはニタリ」だと思っていたという話をしている人がいた。薔薇を見てニタリというのも妖しい雰囲気だ。

     * * *

 山形県北部出身のある女性によると,同地では雪下ろしのことを「雪投げ」というのだそうで,知らないと雪合戦のことかと思ってしまう。正月に帰省したときは,たくさん投げてくたびれたとか。

     * * *

 数年前に行った葬儀の会場は,「子どもの国プラザ」というなんだか楽しそうな名前だった。

     * * *

 先日,文明堂のお菓子を手にする機会があり,包装紙を見たら,問い合わせ先電話番号が 0120-xxxx-0002,つまり今も「電話は2番」なのだった。
 これはフリーダイヤルなので新しい番号だが,ネットで見たら,例えば文明堂東京本社の通常回線の電話は -0002 で,これは昔の「2番」を受け継いだものなのだろう。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

Dec 14, 2014

選挙今昔

 午前中の用事をひとつすませていったん帰宅し,午後,日がかげって気温は7度と寒くなったが,選挙に出かけた。投票所となっている区の施設を出たところで,明るい雰囲気の若い男に呼び止められた――「NHKの出口調査なんですが」 出口調査が行われるようになったのはそれほど昔のことではないとはいっても,それから十何回か選挙をしていると思うが,出口調査のお声がかかったのは初めてで,思わず「あ,初めて出会った」と口走ってしまった。
 ボードの上のアンケート用紙に,年代,投票した候補者(小選挙区),投票した政党(比例区),支持政党などの選択肢があって,丸をつける。なにも正直に書く必要はないよな,という考えが一瞬頭をよぎったが,結局正直に記入して,ものの10秒で終わった。
 となると,開票速報はNHKを見るか,という気になってきた。

 今は開票はどこも即日開票で,夜半過ぎには大勢が判明するが,昔は大都市圏は翌日開票だった。1980年の「ハプニング解散」に伴う衆参ダブル選挙のときなどは,翌月曜日に有給休暇を取った。そのときは,衆議院の開票が優先され,参議院は月曜夕方になっても結果が出なかったと思う。

 子供のころには,故郷・横須賀の商店街の建物の壁に開票結果の表示板が作られていた。運動会の点数表示のように,1桁ずつ数字を入れるようになっていた。中選挙区制のころで,横須賀は神奈川2区だった(1区が横浜市,2区が横浜を間にはさんだ横須賀と川崎,残りの西半分が3区という区割り)。2区の自民党はいつも小泉純也氏,つまり小泉純一郎元首相の父上だった。息子のような政治力はなくて大臣のポストになかなかありつけず,晩年にようやく防衛庁長官になった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Jul 15, 2013

豆腐と薬味

 このところ毎日のように冷や奴を食べている。近所のスーパーで買える豆腐は1丁59円から399円までいろいろあるが,通常は119円,ときどき199円の木綿ごしを愛用している。1人で1丁食べてしまうこともあるが,飲んで帰ったときなどは1丁は多いので,つきあう者がいなければ半丁ずつ2日で食べることになる。
 薬味は,長ねぎ,みょうが,大葉,生姜,削り節の5点セットをなるべくそろえるようにしている。生姜はチューブ入り,削り節は小袋に入ったもので済ませているので簡単だが,問題は大葉(青じそ)で,乾きもせず湿りもせず新鮮な状態で何日か保存するのが難しい。

 郷里・横須賀の居酒屋では,「三冷」(ホッピーと焼酎とグラスを冷やしておき,氷を入れない)のホッピーと湯豆腐を看板にしているところが何軒かある。そのひとつ,ときどきわざわざ出かける名店「銀次」では,湯豆腐・冷や奴はずっと1丁単位だったが,数年前に半丁でも出すようになった。見ていると,夏でも湯豆腐を注文する人がけっこう多い。
 横須賀の湯豆腐は,辛子を塗って出される。最初は変な感じがしたが,おでんでは辛子を使うのが普通だということを思えばこれもあって不思議はない。薬味はネギと鰹節で,入り口近い場所にいる店員さんは,少しでも時間ができると鰹節を箱型の削り器で削っている。これを見ていると鰹節削り器を買おうかなと思う。

| | Comments (0) | TrackBack (0)