50年前の平和賞――ロンドンで聞いた訃報
10月11日,今年のノーベル平和賞を「被団協」に授賞するという発表があった。日本人の平和賞は,ちょうど50年前,1974年の佐藤栄作元首相以来である。
佐藤元首相受賞のとき,佐藤氏といえば70年安保のときの首相で,軍拡志向の人だと思っていたので,平和賞と聞いて本当に驚いた。悪い冗談ではないかとも思った。
佐藤氏の名は,その翌年,別の意味で印象深いものになった。1975年6月に,私は図々しく少し長い休暇を取って,初めて海外へ出かけた。最初に降り立ったロンドンでは,中心部から少し南に寄ったところにある小さなホテルに泊まった。ベッドの枕元にラジオがあり,そのスイッチは OFF,BBC1,BBC2 の3つのモードしかないシンプルなものだった。で,BBC1をつけてみたところニュースをやっていて,初めは何についてのニュースかもわからないニュースが続いたが,しばらくすると Eisaku Sato という言葉が耳に飛び込んできた。どうやら,ノーベル平和賞受賞者のサトウが死去した,と言っているようだった。これも,ノーベル賞受賞者だったからこそ速報されたのだろう。
(このときのロンドンの空港でのことについては →参照)
ところで,「被団協」というのは少しおもしろい略称だ。正式名称は「日本原水爆被害者団体協議会」で,略称を作るとすれば,日本語の文脈ではなるほど「日本」はまず不要ということになるだろうが,「原水爆」が略称から落ちているために肝心な物がなくなるという結果になっている。
意味からいうといらなそうに見えるのは「団」だが,個人でなく都道府県の団体の協議会という会の成り立ちからしてはずせないということなのだろうか。
米大リーグ・ドジャースは12日(日本時間)のパドレス戦に買ってリーグ優勝決定シリーズに進出した。こんどの相手はニューヨーク・メッツ,北米の東と西,時差3時間の対決である。大谷翔平は,14日は2安打1打点を挙げたが,15日はノーヒット。東へ移動したあとの17日は3ランを打ち,ポストシーズン2本目,ドジャースは2勝1敗。